海上自衛隊練習艦隊の壮行式

8日(月)午後6時から、東京の晴海埠頭に接岸している練習艦「かしま」艦上で本年度の練習艦隊の壮行式が行われたので出席した。

私は議員会館から8人の議員さんとバスで晴海埠頭に行ったが、会場には宮澤博行防衛大臣政務官石破茂中谷元両元防衛大臣佐藤正久参議院議員はじめ20名ほどの国会議員が参加していた。

今年の遠洋航海は護衛艦「はるさめ」(むらさめ型護衛艦の2番艦で、満載排水量6,100トン)と共に航海するとの事で、後ろに接岸していた。

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早速自衛隊旗(本来なら軍艦旗であるが今はこう呼ぶのかな)をバックに記念撮影

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なんと会場で二年半前まで高知勤務であった時事通信の清水記者と再会、「何でここにいるの」と問うと、防衛省担当になったとの事で彼女も初参加、記念撮影だ。

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そこでカメラマンの「不肖・宮嶋」氏に会った。

私は以前から宮嶋氏のファンである、お願いして記念撮影をさせて頂いた。

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午後6時33分の日没時には護衛艦旗を下ろす儀式があった。

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練習艦隊は5月22日に出港し、11月1日に帰港予定との事、約190名の練習生もたくましくなって帰ってくる事であろう。

今なぜ憲法改正か

5月3日の憲法記念日に、高知市で私が行った講演の要旨と追加分を掲載します。

前に何度かこのブログで書いた事と重複する部分があります。

今なぜ憲法改正
憲法制定議会といわれる昭和21年(1946年)6月の衆議院本会議において、吉田茂首相と共産党野坂参三衆議院議員との間でこんなやりとりがあった。
野坂参三議員が「侵略戦争は正しくないが、自国を守るための戦争は正しい。憲法草案の戦争一般放棄という形ではなく、侵略戦争の放棄とすべきである」と質問したのに対し、吉田総理は「戦争放棄に関する本案の規定は、直接には自衛権を否定はしていないが、第9条第2項において一切の軍備と国の交戦権を認めない結果、自衛権の発動としての戦争も、また交戦権も放棄したものである。」と答えた。
また、「国家正当防衛権による戦争は正当なり、ということを認めることが有害だ。近年の戦争の多くは国家防衛の名において行われたのは顕著な事実であり、正当防衛を認める事が戦争を誘発する所以である。」とまで言った。
その時吉田茂首相の頭には、日本の安全は将来の国連に守ってもらうという考え方があった。
しかし、その思いも昭和25年6月の朝鮮戦争勃発で吹き飛んだ。米国対ソ連、中国の戦いで国連が機能しないことが証明されたのである。
朝鮮戦争が起きたために、米国は日本に同年8月に警察予備隊を作り、それが保安隊を経て自衛隊となったが、本来ならこの時期に憲法改正を行うべきであった。
戦後、多くの国の紛争において、国連は機能しないことが多かった、その為に、国連は加盟国に個別的自衛権集団的自衛権をみとめた。
我が国は自国の防衛を米国に依存し続けて来た。
米軍が圧倒的な軍事力を保持している時代はそれで我が国の安全は守られた。しかし、20年ほど前にソ連が崩壊し、軍事大国は米国のみの時代が続いた。
2010年になって、米国が世界に展開していた米軍基地を縮小するトランスフォーメーション戦略(ジョイントビジョン2010)を打ち出し、2013年9月にはオバマ大統領が「米国は世界の警察官ではない」と発言した。
その半年後にロシアはウクライナに軍事侵攻しクリミア半島を侵略した。
中国は南シナ海で7つの環礁を埋め立て軍事基地とした。
また、米国は欧州においてはNATO北大西洋条約機構集団的自衛権が機能していたが、機能していない東アジア地域で、日本に対し集団的自衛権を容認する安保法制の成立を要請した。
その背景には急速に軍事力を拡大し、しかも共産党習近平政権のコントロールが効いていない中国人民解放軍の存在があった。
自民党は高村副総裁が、安保法制の制定を求めるために砂川事件最高裁判決の法理を持ち出した。
砂川事件最高裁判決(昭和34年12月16日)は次のように述べている。
最高裁憲法第9条第2項に関し、『我が国が主権国として持つ固有の自衛権はなんら否定されたものではなく、我が憲法の平和主義は決して無防備、無抵抗を定めたものではないのである。(中略)我が国が、自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能として当然のことと言わなければならない』と判示した」
その後、安倍政権は平成27年7月に集団的自衛権の限定的容認を閣議決定し、国会で承認された。
しかし、最近の北朝鮮の暴走ぶりと、1年半に及ぶ米国の大統領選挙を見た日本国民はトランプ大統領を選んだ米国民を見て、日本の防衛に不安感を増大させたと思う。
米国では政治任用ポストは約4,100、そのうち1,242ポストは上院の承認が必要であり、政権移行時に上院の承認が必要なポストは556、そのうちまだ未指名が470ポストある。トランプ政権は未だ道半ばだ。
北朝鮮はここ数年、核実験、ミサイル発射実験を繰り返し実施し、昨年8月3日に初めて日本の排他的経済水域EEZ)にミサイルを撃ち込み、さらに9月5日には3発のミサイルを同地域に撃ち込み、さらに今年3月6日には4発のミサイルを同地域に撃ち込んだ、ほぼ日本の全地域に弾道ミサイルを撃ち込む技術を取得したことを実証した。
ここにきて、3月30日自民党は「弾道ミサイル防衛の迅速かつ抜本的な強化に関する提言」を政府に提出し、日本防衛のためにミサイル基地を攻撃する能力を整備するよう要望した。
現状でも我が国は正当防衛として自衛的先制攻撃はできるが、相手側の攻撃の着手状況が判断しにくい。
そのため、この要望書では、「政府は、我が国に対して、誘導弾等による攻撃が行われた場合、そのような攻撃を防ぐのにやむを得ない必要最小限の措置として、他に手段がない場合に発射基地を叩くことについては、従来から憲法が認める自衛の範囲に含まれ可能と言明しているが、(昭和31年鳩山内閣、平成11年の小渕内閣における野呂田防衛庁長官の政府答弁)敵基地の位置情報の把握、それを守るレーダーサイトの無力化、精密誘導ミサイル等による攻撃といった必要な装備体系については、『現在は保有せず、計画もない』との立場をとっている。
北朝鮮の脅威が新たな段階に突入した今、日米同盟全体の装備体系を駆使した総合力で対処する方針は維持すると共に、日米同盟の抑止力・対処力の一層の向上を図るため、巡航ミサイルをはじめ、我が国としての『敵基地反撃能力』を保有すべく、政府において直ちに検討を開始すること。」と述べられている。
朝鮮半島が急速に緊張する中、4月25日、佐藤正久議員が参議院外交防衛委員会において、朝鮮半島有事の際の在韓日本人の保護について質問した。
政府の答弁は、在韓日本人の保護について、朝鮮半島有事の際の在韓国日本人の救出計画、訓練は一切ない。また、ソウルの日本人学校は漢江の南側にある、朝鮮戦争時に漢江にかかる橋を、避難民がいるにもかかわらず韓国軍が爆破する悲劇が起きた。その史実を参考にすれば、日本人学校を経済的理由などで北側に作るということはなかったのではないか。しかし学校を移転する計画もない。
お粗末な状況である。
なにより、朝鮮半島有事の際でも、韓国政府の承認がなければ日本の自衛隊は韓国に入ることは出来ない。
また、最近米国、ロシア、中国ではサイバー攻撃の研究が行われており、4月16日の北朝鮮のミサイル発射の失敗は、米軍のサイバー攻撃ではないかとの見方もある。
日本は憲法9条の制約の下、サイバー攻撃は先制攻撃にあたるとの見方があり、研究されていない。
また、同様に長射程の攻撃能力を持つことも自粛している。
米軍に頼らざるをえない。
私はこれでは日本の防衛は全うできないと思う。早急に憲法を改正して自衛隊を国軍と位置づけ、自前の防衛力整備を進める必要があると思う。

 

 

高知県の憲法改正を推進する高知県民の集い

3日午後1時30分から高知市の高知会館で「憲法改正を推進する高知県民の集い」に参加した。

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東京の櫻井よし子さんの会と連携しての会合だ。

主催者を代表して「美しい日本の憲法を作る高知県民の会」副会長の山村稔晴氏の挨拶の後、東京から安倍総理のメッセージをネット中継した。

続いて、加藤漠県議が来賓挨拶、

そして、尾崎高知県知事が、緊急事態法を憲法に明記する事を要請する持論を話すビデオメッセージを会場で流した。

その後、東京から「第19回公開憲法フォーラム」の櫻井よし子さんの基調提言、自民党代表の古屋圭司衆議院議員の、公明党、日本維新の代表挨拶の後、私が「今なぜ憲法改正か」と題して約50分の講演をさせて頂いた。

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内容はソ連崩壊後の国際情勢の変化から集団的自衛権の行使容認、中国の台頭、トランプ大統領の誕生、朝鮮半島の情勢、憲法制定時の話が半分、後はミサイル防衛など緊迫する北朝鮮の軍事情勢の話をさせて頂いた。

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空手道佐藤塾の40周年

30日(日) 私が空手道を指導して頂いた佐藤勝昭塾長率いる、王道流空手道佐藤塾の40周年記念祝賀会が新宿のホテルで開かれてので出席した。

佐藤勝昭師範は元極真空手第1回世界選手権大会の優勝者、私は、東京と高知で支部長を務めた15年を含めて20年以上空手道を指導して頂いた。

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佐藤勝昭塾長と記念撮影、この会で息子さんの徳昭さんへの塾長職の禅譲が発表された。

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新塾長との記念撮影、

佐藤師範の盟友、極真空手第8会全日本優勝者、佐藤俊和先生と、

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俊和先生は秋田県本荘市市議会議員を7期?務め、私が宿毛市議の時に本荘市の委員会で宿毛市長を訪問してくれた。

後輩の空手道芦星会を率いる松本隆之さん、高柳さんと、

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故郷の友

20日、故郷宿毛市の友と会食した。

小筑紫中学校の1つ上の先輩である高木三千年さんが選んだ店は両国の「割烹 吉葉」、元横綱吉葉山が起こした部屋をそのまま使ったちゃんこ料理屋さんで、真ん中に土俵を残したままだ。

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数日前にテレビでこの店を紹介していた。

1階だけで150人ほど座れるという大きな店だ。この日は津軽三味線の姉妹が、土俵の上で素晴らしい演奏を聞かせてくれた。

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4人で記念撮影、私の正面が高木さん、その隣が同級生の羽賀さん、私の隣は先日の東京宿毛会で初めてお会いした藤浦さんだ。

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本当に楽しい会話が続き、あっという間に時間が過ぎた。

北朝鮮情勢が緊迫する中での外交防衛委員会

25日(火)のヤフーニュースでは衆議院決算委員会で民進党の山尾政調会長などが、北朝鮮情勢などそっちのけでまだ提案されていない共謀罪の質問ばかりする態度が批判されている。

参議院外交防衛委員会では午前10時から、元自衛隊「ヒゲの隊長」佐藤正久議員が質問に立ち、朝鮮半島有事の際の在韓国日本人の保護と帰国について岸田外務大臣、稲田防衛大臣に鋭い質問をした。

答弁では、全く具体策がなく対応が出来ていない事が明らかになった。

ただ、これには韓国政府の、在韓国日本人に対する非協力的な対応があるのが問題であろう。

旅行者は今の時期にこの国に近づかない事だ。

東京宿毛会に出席

22日(土) 午後4時30分から東京在住の宿毛市出身者の親睦会である「東京宿毛会」に初めて出席した。

この会は県議時代に何度か案内を頂いていたが出席する機会がなかった。

会長の伊賀朗氏(あきうじ)氏は江戸時代の宿毛の殿様の子孫だそうだ。

宿毛市からも中平市長、立田宿毛商工会議所会頭をはじめ14名が出席し、総参加者は六十数名だという事であった。

日本芸術院会員で文化功労者の奥谷博画伯、最近お知り合いになり初対面であった岡添亨、久しぶりに再会した居酒屋「酒楽」の佐竹のオヤジさんなどと楽しい話ができた。

伊賀会長の話では、この会は元々「吉田茂を語る会」として発足したそうで、会長が学生時代には吉田内閣の副総理であった林譲治先生などそうそうたる会員がいたそうだ。

また、会場で配られた「土佐すくも人」という小冊子には、前会長の後藤英輔氏(元公正取引委員会委員で、昨年96歳で他界された)が平成11年に寄稿された「浜口庫之助の思い出」という文を興味深く読ませて頂いた。

作曲家・浜口庫之助氏は後藤英輔氏の2つ上で旧制中学時代からなくなるまで親友であったそうだ。

浜口庫之助氏は神戸生まれだが父親宿毛市坂ノ下の出身で、子供の頃は夏休みによく宿毛へ帰っていたそうだ。

林さすが氏が宿毛市長の時にその話は聞いていた。今は生家ないが石碑が残っている。

この小冊子には浜口氏の未亡人である浜口真弓さんの寄稿文も載っている。

宿毛からは明治時代には維新に貢献した吉田茂先生の父・竹内綱、その長男で小松製作所の創立者である竹内明太郎、明治10年の西南の役当時に鹿児島県令を務め、西郷隆盛先生をはじめ反乱軍戦死者を葬い、今も城山墓地に石碑の残る初代北海道庁長官を務めた岩村通俊、その弟の林有造(明治時代の逓信大臣、農商務大臣)、岩村高俊(貴族院議員)の三兄弟などそうそうたる人々が出ているが、その子孫の方達も出席されて親しくお話を聞く事が出来た。