茨城県知事選挙

今月27日投票の茨城県知事選挙に出馬予定の、大井川かずひこ氏の後援会活動のため、朝から茨城県の友人、私が支援を受けている賃貸業全管協の会社を回った。

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車で行ったのは初めてだったが県西部の古河市から鉾田市石岡市土浦市つくば市と走った。筑波山以外は平野部ばかり、しかも広い、水戸市に行く時間が取れなくてキャンセルした。山と海の高知県から見ると羨ましい限りだ。

高知県と比べて災害が少ないだろうなと思いながら走った。

地元の方の話では、土質が関東ローム層で栄養豊富、畑は何を作っても育ちがいいそうだ。

恵まれた県だと思った。

茨城県は橋本知事が7選目に出馬、自民党公明党は対抗馬として元通産官僚で現在民間会社を経営する大井川氏を推薦している。

現在53歳、元気一杯はつらつとした人物です。石間市では大井川氏の親戚の女性にお会いした。(写真)

通州事件後80周年

29日(土) 午後3時30分から東京の新国際ビル会議室で「通州事件80周年 記憶と慰霊の国民集会」が開かれ出席した。

この会は、私が学生時代からお世話になっている宮崎正弘氏のメールマガジンで知った。

通州事件は前から知っており、最近新たに生存者の証言記録が出版された事も新聞か雑誌の報道で知っていたが、あまりにも悲惨な事件なのでこの本を読む事にためらいがあった。

いい機会なので勉強の為に出席した。

簡単に概要を記すと、事件は北京の東20キロにある通州という町で昭和12年7月29日に、国民党軍通州保安隊が日本軍の不在中に日本人居留民 385人のうち、225人が虐殺された事件である。

とりわけ婦女子に対する凌辱、蛮行は凄まじく、死体を切り刻む残虐性は中国人特有のものだといわれている。

通州事件は、過去に日本の歴史から意図的に消された事もあり、数十人の出席であろうと思って出席したら、なんと300名近い参加者で立ち見が出ていた。

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はじめに簡単な事件概要のビデオが上映された後、呼びかけ人代表の加瀬英明氏の挨拶、櫻井よし子さんの来賓挨拶があった後、一部では元産経新聞記者の皿木喜久氏がコーディネーターとなり、母の胎内で事件に遭遇した加納満智子さん、通州虐殺事件の加害者である通州保安隊を撃滅した日本軍部隊長のご子息である奈良保男氏が証言した。

二部では、「通州事件は我々に問いかけるのは何か」と題し、近現代史研究家の阿羅健一氏、小堀桂一郎氏(東大名誉教授)氏、ペマ・ギャルボ氏、藤岡信勝氏(拓殖大学客員教授)など8名の方がリレートークを行ったようだが、私は少林寺拳法関東学生OB会出席する為中座した。その後の懇親会で一緒になりお話を聞く事が出来た。

会場で販売していた本の題名だけ紹介する。

通州事件 日本人はなぜ虐殺されたのか」藤岡信勝・三浦小太郎編著(勉誠出版)

「慟哭の通州」加藤康男(飛鳥新社)

通州事件 目撃者の証言」藤岡信勝編著(自由社)

 

愛媛県松山の友人達

28日(金) 愛媛県松山市で全国介護老人保健施設大会が開かれるので、前日に松山市へ入り、大学時代からの盟友である二宮康嗣君、岡部光治さん、岡本五十鈴女史と会食した。

今回は元愛媛県議会議長の帽子敏信さんと、息子さんの帽子大輔県議も加わり、帽子さんの経営する道後・山の手ホテルのレストランで美味しい料理を頂きながら会話が弾んだ。

松山は良い、道後の温泉につかり、松山弁を聞いていると心が和む。

この日は松山市老健施設大会に3日間で5千人近くが参加するので、市内のホテルはどこも満室、やっと古涌園ホテルの和室が取れたのだが、山の手ホテルの隣であった。

翌日の全国介護老人保健施設大会は市内各所で意見発表会が開かれており、私が参加したのは松山全日空ホテルで開かれた全国老人保健施設連盟主催のランチョンセミナー。

この連盟は、最近設立された国会議員で構成する地域包括ケアシステム・介護推進議員連盟と連携しており、麻生太郎先生が会長で当日出席された愛媛県の山本順三参議院議員は副会長、徳島県山口俊一衆議院議員は会長代行である。

私は事務局次長を仰せつかっております。

それぞれ挨拶する機会を頂きました。

予算委員会、憲法改正の動き

台湾から帰ってからも結構忙しい。

25日(火) 午前9時から参議院予算委員会に応援として出席、野党の質問は相変わらずの粗探し。

自民党からは青山繁晴議員が6月の予算委員会に続いて再登板、素晴らしい質問であった。

前回は青山議員の加戸前愛媛県知事に対する質問を産経新聞は報道したが、朝日、毎日、東京などの各新聞とテレビは全く報道しなくて、インターネットでマスコミ批判の記事が多く出た。

さすがにまずいと思ったのか、今回は報道した新聞社も少し増え、一部のテレビも少し報道したそうだ。

昨日、県内の自民党吾北支部総会に出席したが、党員の皆様から、野党とマスコミの姿勢に多くの反対意見が出た。

26日(水) 午後2時から自民党本部で憲法改正推進本部の第3回勉強会に出席、議題は「参議院の合区解消」。

国会閉会中にもかかわらず100人以上の出席者で、秘書の中には立って聞いている人が出た。

私も発言し、合区となった高知・徳島県民は反対意見がほとんどである事。その2年前には衆議院小選挙区が一つ減らされた上に、高知県からは参議院の代表が出せなかった事に県民の怒りが、投票率の低下と無効票の多さに表れている。

今回は参議院自民党でまとめた憲法47条改正案で党内をまとめて頂きたいと訴えた。

私は高知に帰る飛行機の時間が迫っていたので1時間で退席したが、その後も意見が続出したが概ね憲法改正案に賛同する意見が多かったと聞いた。

最初的には参議院の取りまとめ案で党内の意見集約が出来た。

かといって、憲法改正を発議するには他党の賛同が必要だが、今のところ他党は憲法改正案に盛り込む事に反対がほとんどだ。

先の見通しは非常に険しい。

しかし、党内の意見を憲法改正で取りまとめてくれた役員の皆さんに本当に感謝している。

角田隆将「奇跡の歌」

高知県出身の門田隆将さんが、ペギー葉山さんが歌って大ヒットした「南国土佐を後にして」の元歌の由来と、ペギー葉山さんがこの歌を歌う事になった由来を書いた力作である。

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私は、「南国土佐を後にして」が、高知市で編成された日本陸軍の連隊で作られた歌であることは知っていた。しかし、それは明治36年(1903年)高知市で最初に編成され、旧満州へ派遣された第44連隊で作られた歌だと思っていた。

ところが、門田さんがこの本を書き、出版直前の先月頃、高知新聞の特集記事で、この歌は昭和14年に高知市で編成された第236連隊(通称鯨部隊)の兵士が作り、歌い継がれた歌である事を初めて知った。

門田さんは、その経緯について連隊の生存者に丹念に取材している。

第236連隊はその後中支へ派遣され、桂林にも行った事は聞いており、私の故郷からもこの連隊に配属された方がいた。

また、ペギー葉山さんがこの歌を歌う事になった経緯についても、本人に対する長時間のインタビューで詳しく書かれている。

3年前の関東高知県人会で、ペギー葉山さんが「南国土佐を後にして」を歌われた。

生で聞いたのは二度目だったと思うが、お年を感じさせない素晴らしい声と迫力であった。

ただこの時は宴もたけなわの時で会場も騒々しくなっており、私は最前列で岩城副知事と「もっと静かに聞いてくれたらなァ、ペギーさんに失礼だ」と話しながら聞いた。

今年、ペギー葉山さんの訃報を聞き、あの時会場にいた方達がもっと静かにペギーさんの歌を聞いてあげればよかったのにと、改めて思った。

門田さんの力作です、一読をお勧めします。

 

台湾訪問最終日

21日(金)は午前8時30分に台湾国防部(日本の防衛省)を訪問、相手方が現役将官なので名前は明かさない。

約一時間意見交換を行った後ホテルへ戻り、ホテルの喫茶室で陳永康・元国防部軍政副部長(海軍大将)と意見交換。

陳氏は国防大学校長、海軍司令部司令なども歴任しており、現役時代は日本の防衛大臣などとも交流があったそうだ。

その後ホテルの別室に移り、国防部から数名の現役将官も加わり昼食会。

双方が相当具体的な話を出して意見交換を行ったが、詳しい内容は書けない。

国会議員になって初めての台湾訪問であったが、金田秀昭氏、日本李登輝友の会の柚原事務局長のおかげで中身の濃い訪問となり、お二人には感謝しております。有難うございました。

 

 

台湾訪問3日目

午前10時に台湾総統府へ呉釗變(ごしょうしょう)総統府秘書長(官房長官に相当)を訪問、外交防衛のキーパーソンという事で、防衛問題の意見交換をした。

30分の予定が15分オーバーし、45分間にわたり意見交換が出来た。

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また、この面談には張淑玲・台湾日本関係協会秘書長が出迎えてくれ、張さんは高知にも10回ほど来ているとの事で高知の酒文化の話が弾んだ。

張さんは台湾外務省の北米局長だそうで、昼食会では台湾と日本、米国との外交の話を聞いた。

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(張さんと総統府で記念撮影)

この会には、近いうちに日本へ赴任する予定の林郁慧女史と通訳の李女史も参加した。

昼食後、総統府の車で故宮見学に行った。

楽しみにしていたが、日本で「なんでも鑑定団」をよく見ているせいか、余り感動しなかった。2時間ほどで急遽別行動する事になった金田、柚原さんと合流してホテルで一休み。

午後6時から日本台湾交流協会台北事務所(大使館)の車で沼田幹夫代表を訪問、ここでは李登輝先生の秘書である早川さんも合流して、様々な分野の台湾日本の交流話に花が咲き、なんと午後10時30分までお邪魔した。

最後に記念撮影、私の右側が沼田大使、真ん中にあるお皿は「柿右衛門 作」、なんでも鑑定団に出せば?千万円か?、周りの絵画も素晴らしいものでした。

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