法人企業統計発表、景気は落ち込む?

2日財務省が令和元年4〜6月期の法人企業統計を発表した。

製造業の設備投資が前年同期比6.9%減の3兆6,156億円で、平成29年4〜6月期以来2年ぶりの減少となった。

また、経常利益も27.9%減と大きく落ち込んだ。

米中貿易摩擦の影響だ、当分続く。

一方で同時に発表された平成30年度の統計では、経常利益が全産業で前年度比0.4 %増の83兆9,177億円と6年生連続で過去最高を記録した。

また、利益剰余金、企業の内部留保は、3.7 %増の463兆1,308億円と7年連続で過去最高を更新した。

政府の経済政策の目論見は、金融緩和、法人税減税などで企業の利益が上がり、次いで従業員の給料が上がり消費が拡大して景気が良くなる、というものであった。

企業がいくら利益を上げても、企業の内部留保が増えるだけで従業員の給料が上がらないから景気が回復しない。

当初予算で公共投資を継続的に増やさない限り、経営者の不安は解消できない。

法人税減税はやめた方がよい。これでは来月の消費税増税後はますます消費は落ち込むであろう。

東京に住んでいると、地方のこの状況は分かりにくい。

 

自民党高知県連臨時大会開催

【昨日の台湾のブログの写真を追加しました。】

今年11月に高知県知事選挙がある。その候補者を決めるため、9月1日(日)午後1時から高知市内のホテルで、自民党高知県連の総務会、2時から県連大会が開催され出席した。

尾崎知事が後継指名したのは、高知県四万十市出身で、土佐中・高、東大、総務省の経歴を持つ濵田省司氏56歳、濵田氏は総務会で決意表明し、全会一致で推薦を承認された。

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臨時県連大会でも、同様の決意表明して承認された。

県連大会には尾崎知事も出席して、3期12年間のこれまでのお礼と濵田氏の支援を訴えた。
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この後、党員数名から尾崎氏が出馬の意向を表明している衆議院第2選挙区の公認をどうするのかの質問が出た。

梶原幹事長は、今後2区の党員の声を聞きながら調整していくと答えた。

台湾4日目、最終日

初めに、3日目のブログの写真などを更新しました。

昨日は夕食後、足立、藤木、進藤議員が翌朝帰国するので台北に向かった。

我々が泊まったホテルはため池の側にあり、新しい立派なホテルであったがサービスがいまいち遅れていた。

(下の写真はホテルの部屋から撮った)

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午前8時にホテルを出発して近くの高梁酒製造工場である金門酒廠へ行く。

1952年に当時の国民党軍の将軍が高梁酒製造を薦めた過程のビデオを見せられた、半ば官営か?

昨夜、この会社で作られたコウリャン酒(58度)が出たが、喉に焼け付く痛さだが品質の高い酒だ。

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(後ろの棚はこの会社の高級酒)
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(下の写真は高梁酒工場の見学)
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(説明中にふざけております)

10時10分金門空港発、今度はジェット機なので、距離は台南・金門間より長いが1時間10分で台北松山空港へ着いた。

メンバーの中で今回が初めての議員もいるので、

10時50分に台湾総統府を見学、記念撮影

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(始めは議員で記念撮影、左からこやり、中西、小川、青山議員)

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(お世話になった皆様、後列左から小野寺秘書、山崎秘書、台北駐日経済文化代表處の傳(フー)國華さん、前列右端は林(リン)さん)

昼飯後、午後2時から台北市の古い街の一つ、大稲埕(だいとうてい)を見学、案内員が付いた。

目抜き通りの迪化街には、日本統治時代に建てられたバロック風建築が並んでいた。

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今回の台湾訪問も、昨年に引き続き、台北駐日経済文化代表處の傳(フー)國華さん、林(リン)さんと小川克己事務所の山崎秘書さん、佐藤啓事務所の小野寺秘書さん、岩本秘書さんにお世話になりました。本当にありがとうございました。

台湾3日目、高雄市から金門島へ

29日(木) 午前9時20分、高雄市の港湾管理を行う台湾港務会社高雄支会社を訪問して説明を受けた。

高雄市の人口は約277万人、台湾第2の都市だ。

高雄港は台湾のコンテナ貨物取扱量の7割をまかなう。

2018年の速報値は、コンテナ取扱量が約1千万TEUで世界で15位程度に落ちた。その原因は中共との貿易量の減少だ。

しかし、東京(511万TEU)、横浜(304万TEU)、神戸(294万TEU)を合わせたほどの取扱量だ。

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その後、高雄港を遊覧船に乗って海から視察、これはよかった。

高雄港はバナナなど果物と砂糖の輸出で栄えた港で、下の写真の建物には「バナナ港」と書いてある。

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台湾海軍の駆逐艦もあった、修理中だろうがターターミサイルを積んでおり相当に古い型だ。
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こちらは台湾の海上保安庁の巡視船、
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コンテナターミナル
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下の写真は遊覧船のターミナル、
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その後、午後1時55分高雄空港発の飛行機(ボンバルディア)で金門島へ移動、約1時間の飛行、念願であった。

下の写真は、赤矢印が金門島の位置図、次の写真の右下が大金門島、その左隣りが小金門島、4枚目が記念館の写真。

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金門島は大陸のすぐ近く、廈門(アモイ)の隣だ。

かねてから訪れてみたいと思っていた。

金門島は完全に観光地になっていた。この島は元々中国大陸の内陸部の人々が移り住んだそうだ。現在の人口は戸籍上は12万人、実際は6万人との説明を受けた。
国立金門大学もあり、構内を車で通ったが広くて立派だ。
現在の住民は、1952年から国民党の兵隊が伝えたコウリャン酒作りに従事している人が多いとの説明を受けた。

この島は蒋介石が台湾へ逃げた後、中共軍が上陸して国民党軍と戦った。

その際、日本陸軍の根本博元陸軍中将が指揮をして中共軍を撃退した。

なお、根本博氏は中国名で参加していた。氏の活躍を台湾は秘密にしていたが、平成21年に公表した。その活躍の様子は、作家の門田隆将氏が「この命義に捧ぐ」という本で紹介している、是非読んで頂きたい。

初めに訪れたのが金門島の小型船舶修理用の地下水路、よう山坑道を見学。

入り口には米国製のM41戦車、上陸用舟艇、40ミリボフォース対空機関砲などが展示してある。

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ここら辺は花崗岩で出来ており、ダイナマイトでくり抜いて水路を造った。
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水門の近くは下の写真のようにチヌが泳いでいた。
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次に行ったのが大陸の厦門(アモイ)が見える高台にある、金門島の戦いの記念館の一つである筥光樓(きょこうろう)。

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1958年の金門島の戦い(八二三砲戦)の説明、
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上の写真は大陸の方をバックに青山繁晴議員と記念撮影、

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戦いの様子が展示してあったが根本博元陸軍中将の話は無かった。根本氏の活躍がきちんと紹介されていないという事も聞いていた。
しかし、根本博元陸軍中将の活躍は、金門県の陳朝金秘書長主催の夕食会の場で、陳秘書長が歓迎の挨拶の中で、白団の話と一緒に話してくれた。(下の写真)

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次に訪れたのが金合利綱刀廠、1958年の金門島の戦いで、44日間で打ち込まれた砲弾(105ミリ弾が多かった)約50万発(47万発)のうち、不発弾を加工して包丁を作る工場だ。

呉増棟という方が始めたそうだ。

今でも宅地造成工事の際には不発弾が出るので材料には不自由しないそうだ。

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我々の目の前で、短時間で包丁を鍛造して造ってくれ、外交部から28会の名前を刻印してプレゼントされた。
包丁以外にも各種のナイフが展示してあった。

台湾2日目

28日(水)は午前9時01分の新幹線で南部の嘉義へ移動、所要時間約2時間、嘉義駅から貸切バスで八田輿一の造った烏頭山ダムへ向かった。

足立敏之議員作成の資料や現地で頂いたパンフレットによると、

八田與一明治19年(1886年)2月、石川県に生まれ東京帝国大学土木工学科を卒業し、台湾総督府内務局土木課に就職し、1910年に大学を卒業し56歳で亡くなるまで台湾に大きな貢献を果たし、台湾の水利建設に人生を捧げた。

台北下水道の建設、高雄港の建設、日月潭水力発電所、桃園大圳(だいしゅう)、嘉南大圳の工事の烏頭山ダムの建設など、日本統治時代の台湾における重要な現代土木水利工程に参画している。

とりわけ烏山頭ダムは、この周辺地域約15万ヘクタール(ほぼ新潟県の面積であるという)を灌漑し、台湾農業の振興に大きく貢献した。

この実績が評価され、昭和17年5月にフィリピンのルソン島で綿花栽培の水利事業を計画するよう陸軍から委嘱を受けた。総督府勤務の3名の部下と共に軍属としてフィリピンへ派遣される途中、長崎県沖で貨物船大洋丸が米国潜水艦に撃沈されて死亡した。

なお、そのご遺体は数日後に山口県へ流れ着き、衣服で八田與一と確認され、その御遺骨の一部が後で紹介するお墓に埋葬されている。

現在でも台湾の中学生向け教科書に八田洋一の業績は詳しく紹介されている。平成21年に烏山頭ダムを土木学会の海外最初の土木遺産として認定された。

八田與一氏は技術者として抜群に優れていたばかりでなく、人間としても優れていた。肩書や人種、民族の違いによって差別しなかったために永遠に台湾の人民から慕われる。

初めに再現された八田與一の住宅へ案内された。

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下の写真は執務室で、額は烏頭山ダムを建設中の写真、日本のダムのイメージと違って、大きなため池という感じだ。
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庭には外代樹夫人と子供の像がある。

夫人は終戦後の昭和20年9月に8人の子供達を残して、烏山頭ダムに身を投げて自殺した。痛ましい出来事である。
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復元された官舎のそばには八田路と名付けられた道路がある。(下の写真)

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下の写真は、当時建設された発電所だが、我々の為に特別に放水してくれた。
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下の写真の発電施設は今でも使える。
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ダムのそばに、八田與一の像とご夫妻のお墓がある。
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私の左隣りで説明してくれたのが記念館の所長さん。
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下の写真がダム湖の全景、

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午後2時30分に台南市役所へ、黄偉哲市長を表敬訪問、台湾の人口は2,354万人、台南市の人口は約189万人、大都市である。

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下の2枚の写真は台南市の市街地

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下の写真は泊まったホテルの前にあった龍の像、マーライオンのように水を吐くそうだ。

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その後、台南市内にある、海軍戦闘機零戦パイロットを祭った飛虎将軍廟を訪問してお参りした。

ここは昨年も書いたが、昭和19年(1944年)、台湾に配属されていた日本海軍の杉浦茂峰兵曹長(戦死後に少尉昇進)は零式艦上戦闘機三二型に搭乗して台湾沖航空戦に出撃。10月12日午前、台南上空で米軍機を迎え撃つも撃墜され、落下傘降下中に機銃掃射を受けて戦死した。

終戦後、村のあちこちで不思議な夢を見たという噂が広まった。白い帽子と服を着た日本の若い海軍軍人が枕元に立っているという夢を見たという者が、皆に話したところ、同じ夢を見たという者が数人名乗りでた。その後、その海軍軍人が杉浦であり、集落への墜落を避けるため被弾した乗機を操縦して郊外まで飛び、そのために脱出が遅れて戦死したことが判明。自分の生命を犠牲にして村人を救った杉浦を祀るため1971年、落下地点に廟を建設した。とパンフレットに書いてある。

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この日は、その後バスで約一時間、高雄市へ移動してホテルへ着いた。

台湾親善訪問

27日(火)から参議院当選同期の二八会の仲間たち9名で台湾へ親善訪問をしている。

昨年に続き2度目の訪問、前回は私が団長であったが、今回は小川克己議員が団長だ。

17日は台北松山空港到着後、午後2時15分から(財)国防安全研究院(日本の防衛省防衛研究所と同じような組織)を訪れ、1時間30分間の意見交換会を行った。

国防安全研究院の林正義執行長(責任者)の歓迎の挨拶の後、小川団長が挨拶、その後同行した青山繁晴議員と私とが主に発言した。

ここは写真撮影禁止でした。

午後4時からは経済部(日本の経済産業省にあたる)を訪問して、王美花政務次長と意見交換、政務次長とは副大臣のポストだそうだ、政務任命であるが王さんは政治家ではないということだった。

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王次長から日米経済交渉に関する質問があり、経済産業省出身のこやり議員が答えた。

また、青山繁晴議員が福島原発の事故を受けて台湾が日本の農産物、水産物の輸入に規制をかけている問題を取り上げ、私は福島原発事故の後、現場に最初に入った人間だ。福島では放射線障害で死亡した事例はゼロだ。

当時の菅首相が「福島の事故はチェルノブイリ原発事故と同じレベル7だ。」と発言したのが最大の間違いだ。

放射線障害の影響は非常に少ないので、早い時期に規制を解除してほしいと、具体的な数字や事例をあげて王次長に説明した。非常に説得力のある説明であった。


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台湾では国民投票で2年間は日本の農水産物を輸入出来ないと決めたので、その後にできるだけ早く規制解除するべく活動すべきだと思った。