日本の外交、高村正彦元外務大臣、藪中三十二元外務事務次官

昨年末に二冊の外交に関する本を読んだ。
1冊は「高村正彦『真の国益を』」(大下英治著、徳間書店)で、高村事務所から送られてきた。
もう一冊は「国家の命運」(藪中三十二著、新潮新書)である。たまたま本屋で見つけた。
藪中氏は昨年夏に外務省を事務次官で退職されたが、私はアジア大洋州局長として六カ国協議の日本代表を務めた時から注目していた。
高村先生は最初の外務大臣就任から、外務省職員からずいぶん信頼されていたこと、そして、失礼ながら、以外と信念をもって外交交渉をやっていると評価していた。
その一例として、この本では中国の江沢民国家主席が来日した際の共同声明文書の作成過程が紹介されている。
平成10年8月、小渕内閣外務大臣に就任した高村は中国に乗り込み、唐家璇外相江沢民国家主席の来日に向けた協議を開始した。
当時は9月に江沢民国家主席の来日、10月には韓国の金大中大統領の来日が予定されていた。
江沢民金大中の訪日前、高村のもとに確度の高い情報が入ってきた。
二人が会談したとき、金大中江沢民にこう告げたという。
『日本には、文書で一度しっかりと謝ってもらう。その代わり、二十世紀に起こったことは、二十一世紀にひきずらないで、過去のことは、韓国政府としてもう言わない、ということにしたいと思う』
すると、江沢民はこう答えたらしい。
『それは、違う。日本のような国は、未来永劫謝らせ続けなければいけない』」
この中国の姿勢は今でも変わっていない、韓国がこの後、日本に謝罪要求をしなかったかどうかについては、私の記憶が定かではない。
この時、日本政府は韓国に対して、歴史認識について「お詫び」を表明した。
すると、来日を11月に延ばした中国はそれ以上の表現を要求してきたという。しかし、高村は「お詫び」を文章化しないという態度を貫いたし、小渕首相も一貫して否定的だった。
中国の唐家璇外相は相当ねばったようだが、高村の毅然とした態度を見て観念したのであろう、最後は折れたという。
江沢民はこの決着が大いに不満であり、日中首脳会談後の宮中晩餐会では、歴史問題に触れ、「日本軍国主義は、対外侵略拡張の誤った道を歩んだ」「我々は痛ましい歴史の教訓を永遠にくみ取らなければならない」などと日本を非難。28日に早稲田大学でおこなった講演でも、日本の過去について徹底的に糾弾した。
この結果、日本人の対中国観は急激に悪化、10年以上たった現在もそれは変わっていない。
中国の外交当局にとっては失敗であろう。
また、この時外務省から大臣秘書官としてきていた小寺次郎氏は、日韓交渉において、高村と韓国の洪淳瑛外交通商相との信頼関係があったことが日韓共同声明を作成するにあたって大きな力となったことをのべている。
そして、外務官僚である小寺から見て、「高村は、外務省でのブリーフや討論会の席上で、きわめて的確な判断をする。そのうえ、事務的な判断までもが的確だった。共同宣言を作成する際の文言に関することでも、単純に方向性を示すばかりでなく、高村自らが一言一句を指示してくれた。」という。
著者の大下はこの本の中で、高村外務大臣の評価について、同時期に小渕内閣経済企画庁長官であった、経済評論家の堺屋太一氏の言葉を借りてこう言っている。
「堺屋は思った。外務大臣として、秀逸な存在だ。堺屋は歴代の外相に接したが、たいていは官僚のいいなりの頼りない姿だった。歴代の外相は、外務省が計画した外国訪問業務、いわゆる、ロジ業務のもとに、日程や課題をこなしているにすぎなかったからである。このように、日本は外務省主導の外交を進めてきた。それも、外交相手の能力や人格を見るのではなく、役職を重視する、外交とはとても言えない外交であった。・・・・
歴代の外相の多くは、このような外務省に、交渉方法はおろか、交渉先である相手国の国家首脳の評価も任せていたのである。
だが、高村は自分の判断で、銭其琛外相を、中国の政治機構のなかで位置づけた。炯眼とも言うべき、非常にすぐれた眼力である。これまでの多くの外相とはちがう。まさに、外交のできる外相になるかもしれない。そのような期待を堺屋に抱かせた。」
また、二度目の外務大臣就任(福田内閣)となった平成19年9月、アメリカ国務省でライス国務長官と初めて会談した模様はこう書かれている。
「ライスは、才女と呼ばれるだけあって、やはり頭の回転が早かった。一時間の会談中、高村も、ライスも、おたがいに事務方が用意したメモを一回も見ることなく、丁々発止でやりあった。
会談に同席した外務省のスタッフが、高村に感想をもらした。『こんな面白い会談は、はじめてです』」
このくだりで思い出したのは、昨年12月に中国の胡錦涛国家主席とおどおどした態度で終始メモを見ながら発言した、菅直人首相の情けない姿であった。
ところで、現在の外務大臣は誰だ?
調べたら前原誠司であった、存在感が薄い。
高村先生の本の紹介が長くなったが、もう一冊の薮中氏のことを書こう。
事務方として外交交渉のいきさつが多く紹介されているが、その中で薮中氏の見た日本外交の欠点についての記述に共感を覚えた。
「(明治時代は)近代化の中でも日本なりに工夫をし、誇りを高く持ち、日本としての考え方を失わずに世界に立ち向かう姿がそこにはあった。司馬遼太郎さんの名著『坂の上の雲』でも描かれているように、あの時代の人々は、必死で学び、自ら考え、激動する時代を果敢に生きていたように思うのだ。
ところが、先の大戦において、アメリカを代表とする連合軍に完膚なきまでに敗れ去ったがために、国家としての誇りまで失い、何はともあれアメリカのいう通りにしよう、それがまちがいのない道なのだ、という単純な思考パターンを繰り返すようになってしまったのかもしれない。」
まさにその通りである。
これが、戦後の多くの国民、政治家、官僚の考え方であった。
尖閣諸島における中国船の体当たりは、この平和ボケに対して強烈な1打となった。

また、現在アメリカの関心はイラクからアフガニスタンに移っているが、薮中氏は日本のアフガニスタンに対する貢献について書いている。政府、外務省の宣伝不足である。
オバマ政権発足を間近に控え、アメリカから日米関係の権威とされる大学教授や学者が日本を訪れて意見交換をした際の藪中氏の発言である。
「日本は、アフガンの地で5百の学校を建て、1万人の教師を養成し、30万人の生徒に教育を与えてきた。50箇所に病院を作り、4千万人分のワクチンを供与してきた。650キロにおよぶ難しい道路を建設し、最近ではカブール空港のターミナルも完成させた。そして今も、JICAが派遣する60人の専門家集団が現地の人と一緒になって汗をかき、農業、医療、教育などに携わっている。
それから、アフガンの警察官の給与、8万人の警察官の給与の半分を日本が支払っている。こうした日本の支援は、アフガンの大統領から住民まで幅広い人たちから感謝されている。」
私は、アフガンでもアメリカ流の政治支配は失敗すると思う。
アフガンの人達は誇り高く、異民族の支配をいさぎよしとしない。
日本国内では宣伝不足であるが、日本の貢献が生きると思う。