「ココダの約束」その2

昨日の続きである。
私以外は三人とも西村幸吉氏にお会いし、その迫力に心をうたれ、西村氏を心から尊敬している。
私は「ココダの約束」を読んだ時、西村幸吉氏はこの本の完成まで、見えざる手によって生かされているのかなと考えていた。
この本を読んで、西村氏と同じ小隊にいて戦死した兵士で宿毛市出身者が五名いたことを知った。
そのうちの一人は私の母の遠縁にあたる人の父であった。
それは、以前このホームページに書いた。
その方は数年前に亡くなっていたが、その姉上がご存命で、数か月前に「ココダの約束」で亡き父上が戦死する場面のページをコピーしてお渡ししたら大変喜ばれた。
今回、3人と会食して思った、高知放送の田中記者は西村幸吉氏を捜し出してインタビューをして、番組で放映した。
そして、高知新聞の福田記者は、現在高知新聞に連載中で、この連載記事は大変な反響があるという。
先日は、父が戦死した状況を初めて知ったという遺児のことが記事になっていた。
二人に西村氏の存在を教えたのは大石県議である。
私は三人と会食しながら、「西村さんは、ニューギニアで自分の仲間が無念の戦死をとげたことを高知県民に広く知ってもらうまで生かされているのだな」と言った。
田中記者はうなずいていた。
私がニューギニア戦を知ったのは、大学生時代に海軍の傑作戦闘機・零戦の搭乗員であった坂井三郎氏の名著「大空のサムライ」を読んでからであった。
その本にラバウルからポートモレスビーを爆撃に行く飛行隊を坂井氏の乗る零戦が援護する話が出てくる。
その中に標高4千メートルのニューギニアのオーエンスタンレー山脈を、零戦で越える苦労話と、下では陸軍が戦っている話が出てくる。
しかし、その中に高知県の144連隊がいたことは「ココダの約束」を読むまで知らなかった。
戦争の話を聞いたり、読んだりしていると科学では解明できない話が出てくる。
今回、高知放送の田中記者は西村氏にインタビューをしている最中に、ヘッドホンから悲鳴のような声が聞こえ、ヘッドホンをはずしたそうだ。その時に西村氏が「これは悲鳴ですね、でも、悪意のある声ではないので大丈夫ですよ。」と言われたそうである。
インタビューを続けていると、今度はマイクロフォンのスイッチが突然「プチ」という音と共に切れたそうである。
電池を入れ替えてインタビューを続けていると、また、すぐにスイッチがとんだそうである。
私は、このような話をいくつか聞いたり、読んだりしているが、何の疑いもなく信じている。