再任野田政権と対中外交

9月21日(金)民主党代表選挙が行われ、圧倒的多数で野田佳彦氏が代表に再任され、本日、輿石幹事長の続投が報道された。
輿石氏は日教組の親玉、反日教育組織のボスが引き続いて政権与党の幹事長であるのでこの政権の性格は非常にわかり易い。
しかも、「男の顔は履歴書」という言葉があるが、この人はよれよれのトカゲにそっくりで、極めて品性下劣な顔をしているので民主党にとってマイナスであるのも都合が良い。
しかし、先日まで吹き荒れた中国の反日デモ、次の国家主席に就任するといわれている習近平が二週間ぶりに表れて号令をかけたらぴたりと止まった。
野田首相尖閣諸島を国有化したが時期を見誤った。
ASEANで中国の胡錦濤と会談したそうだが、国家主席の話を聞き違えたの?すさまじい外交音痴である。
野田内閣には、中国が来月の共産党大会を控えて、江沢民習近平派対胡錦濤李克強派が激しい主導権争いをしているという情報も入ってなかったのか。
元中国重慶市のトップであった薄熙来が今度の共産党大会で復活するのではないかという情報がある。
薄熙来の妻の谷開来が英国人を殺したとして執行猶予付の死刑判決を受けたが、この犯罪はもみ消し役の元重慶市副市長の王立軍と内輪もめしたために発覚した。
薄熙来を追及すると、他の共産党幹部の犯罪まで暴露されることを恐れて優遇するのだという。
中国人は歴史的にこんなものだそうだ。
明治から昭和初期にかけて活躍した日本の政治結社玄洋社のトップである内田良平先生の書いた「支那観」は日本の採るべき道を具体的に指し示した国家戦略の書であるが、内田良平先生はシナ人を次のように見る。
①何事も金銭万能
②平気でウソをつく
③恩を恩とも思わない
④事実を平然と改変する
⑤約束を守らない
⑥自己の利益のみに執着する
縁故主義
⑧職権で私腹を肥やす
⑨常に敵の分断・陰謀を策す・・・
(出典、「シナ人とは何か」展転社
内田良平先生は明治7年(1874年)2月生まれ、昭和12年(1937年)7月に亡くなったが、明治31年(1898年)に宮崎滔天から孫文を紹介されて以来中国革命を長い間支援した。
明治38年(1905年)には北一輝玄洋社から中国へ派遣して革命を支援した。
大正元年(1912年)に孫文率いる中華民国は成立したが、長年中国人と付き合った内田良平先生のシナ人観がこれである。
この「支那観」は、大正2年(1913年)に政府に対して提出されたが内田先生の観察はいまだに当を得ている。