依光隆夫・元県議会議員の死を悼む

今朝、依光隆夫・元県議会議員が亡くなられたとの連絡を受けた。
私が県議になった平成11年に4期目の議員として自民党の幹事長も経験し、県議会議長を務められていたと思う。
土佐山田町議会議員を5期務められ、民間建設会社の社長もやっておられたと聞いており、体格は小柄であったが向こう気の強い性格であった。
今年になって体調を崩し、人工透析をやっていると聞いていた。
夏の参議院選挙前に電話が通じ、お見舞いにお伺いしていいでしょうかと話したら、君は自民党県連幹事長として参議院選挙が終わるまでは全力を尽くせ、見舞いに来る必要はないと力強く励まされた。
その後、8月3日に中谷元衆議院議員の事務所移設開きがあり、そこで中谷後援会の後援会長である依光さんとお会いしたのが最後になった。
その時は相当弱っておられ、改めてご自宅にお見舞いに行きますと言ったが、検査入院するのでということでそのままになり、先日、中谷代議士に様子を尋ねたところ、面会謝絶だけれど自宅で静養されているとお聞きしたばかりであった。
私は依光さんに大変お世話になった。
父上がたしか支那事変で戦死されたそうで、当時高知県遺族会の会長も務めておられた依光県議に、私は大東亜戦争戦没者の御遺骨の収容事業があれば声をかけて下さい、私も参加したいですとお願いした。
御遺骨の収容はできなかったが、平成16年に高知県遺族会フィリピン会の慰霊巡拝団がルソン島を巡る旅に参加させていただくことができた。
その際、道路事情が悪く、大型バスで連日8時間以上揺られることに私は根を上げて、後部座席でたびたび横になっていたが、依光さんはじっと座席に座っておられた、さすがにきつかったらしく、ホテルに着くと疲れたお顔で、夕食もあまり食べておられなかったが、最後までバスの座席にきちんと座っておられたことが印象に残っていた。
また、橋本大二郎元知事の選挙資金疑惑を追及して、県議会で百条委員会を設置した際には二人で一緒に調査活動をしたが、依光さんの人脈の広さが疑惑解明に随分貢献した。
依光さんはこの資金疑惑を県議会で表に出すにあたって命の危険にさらされ、ホテルに一週間ほど雲隠れしていたことがあった、よく無事に乗り切ったものであると感心した。この時には自宅に脅迫電話が相次ぎ、奥様は大変苦労されたと聞いた。
とりわけ、圧巻であったのは、橋本知事の元秘書の笠氏に高知市のホテル佐渡でお会いして話を聞いた時の事である。
橋本大二郎選対に高知県内の大手建設業者十数社から一億円の裏の選挙資金が笠氏の元へ届けられたという話を聞いた、笠氏は金を届けてくれたのは高知駅前でホテルも経営していたS建設のО社長だ。そのお金はしばらく押入れに置いていたが、その後どうなったかは覚えていないとのことであった。
依光さんと私は話を聞き終えてホテルを出ようとしたが、ホテルのフロントに女将がいるのを見た依光さんが「中西ちょっと待て」と言い、ホテルの女将に話を聞いた。
この女将がすべて話してくれた。
現金を預かったのは自分で、新聞紙でくるまれ破れ目から紙幣が見えた。それを風呂敷で包んでいた、数日後、四国銀行帯屋町支店の支店長が取りに来た、その支店長は誰それである。
それを聞いた我々はすぐにその元支店長を探し当て話を聞いた、彼もすべて話してくれた。
それらは、百条委員会に出席した女将の証言ですべて明らかになったが、S建設のО社長はその事実を、委員会で「知らない」と否認した。
その後も、依光さんは女将や笠氏に気を使われた。
委員会が終了した後、笠さんの奥様が病気で倒れたと聞いた際には、「中西一緒に来い」と言って、高知空港からカツオのたたきセットの大きな手土産を携えて、二人で羽田空港近くの笠さんの自宅を訪ねた。
県議を辞める際にも、まだ元気じゃないですかという私に、女房がまいっていると言って辞めていった。
その後は、好きなゴルフを思う存分楽しみながら、いくつかの会社の役員などをして忙しそうにしていたが、昨年から体調を崩されたそうである。
依光さん大変お世話になりました、ご冥福をお祈りします、安らかにお休みください。