ウクライナでマレーシア機撃墜のその後

今日のインターネットニュースで、ウクライナの親露派武装集団の程度の低さが報道されている。
マレーシア機の被害者の遺体に対する扱いがひどすぎるとオランダのルッテ首相やティメルマンス外相が激怒しているとの報道や、貴重品などの遺品が無くなり、遺品のクレジットカードが使われたとの報道まで流れている。
元々、ロシアがウクライナに親露派武装集団を送り込んだ当初から、この手の話はあった。
1945年8月に日ソ不可侵条約を一方的に破って北満州に攻め込んだソ連軍も、正規軍ではあったが相当程度が低く、民間日本人に対して残虐の限りを尽くしたことは、生き延びた日本人の証言がある。
ウクライナの親露派武装集団は犯罪の前科者を送り込んでいるのではないかとの報道まで流れている。
今も昔もロシア人のやることは変わっていないのか、それとも報道が大袈裟なのかは分からない。
今朝のニュースで見た親露派武装集団の指導者というのは、一見相当柄の悪い顔をしていた。
ウクライナとロシアの問題は、ソ連邦が崩壊した数年後から始まっている。
ソ連崩壊によって自動的にウクライナはアメリカ、ロシアに次ぐ核大国となった。
私が調べた文書には、大陸間弾道弾176基分、1240発の核弾頭があったと書かれている。この核兵器をどうするかを巡ってウクライナ国内で賛否両論が議論されたのはもちろん、ロシア、米国との交渉が持たれた。
ロシアと米国はウクライナの安全は我々が保障するので、核兵器を放棄して核不拡散条約NPTに加盟するよう求めた。
元々、ウクライナでは1986年4月のチェルノブイリ原発の事故もあったし、穀倉地帯ではあっても石油、天然ガスのエネルギーの70%をロシアに依存していたという事情もあった。
最終的に1994年にウクライナはNPTを批准し、1996年6月に核兵器をロシアに移送したそうだ。
ジャーナリストの櫻井よしこさんによると、ウクライナが独立国になった時点で国内には1900発以上の核兵器が残っていた、核兵器をロシアに移してNPTに加盟したらウクライナの領土保全を担保すると言ったのは米、英、露の3ヶ国であり、このいわゆるブダペスト合意には、後にフランスと中国も参加した。つまり、国連安全保障理事会常任理事国5ヶ国がウクライナの領土保全を約束したとの事である。
それから20年経ち、その後ウクライナは西側よりの姿勢を鮮明にしようとしてクリミアを占領され、残る国土も西と東に分断されようとしている。
国連安全保障理事会常任理事国5ヶ国の約束は、ウクライナにとってなんの役にも立っていない。