敗戦記念日 2

8月15日は310万人の大東亜戦争の戦没将兵と民間人に哀悼の誠を捧げた。
私の地元宿毛市小筑紫町大海では、15日は夕方、送り火を焚き、盆踊り大会、今朝16日はお墓参りをする。
私も千葉県から帰省している弟夫婦と我が家と親戚一統の墓参を行った。
我が家の墓は、3年前に道路端にある新しい民間墓地に移転した。
今年は久しぶりに、元の山の上にある共同墓地に参った。親戚のお参りと戦没者のお参りだ。
f:id:nakanishi-satoshi:20140816100105j:plainf:id:nakanishi-satoshi:20140816100055j:plain
写真が大海地区の忠魂墓地である。上の写真の正面には日清・日露戦争と聞いているが、7つの大きなお墓がある、手前の若干小さな墓標が大東亜戦争戦没者のお墓であり、32柱ある。
当時の大海地区が110戸ほどであったようだ、一戸あたりの家族数は今の数倍あったであろうが、地区の戸数当りの戦没者数は宿毛市でも大変多い。
一家で父と息子が、そして、父の兄弟が戦死している家もある。
私の父は海軍で終戦時は22歳、上海航空隊の主計兵であったが、故郷からの手紙で誰それが戦死したという知らせが来るたびに、生きては帰れないという思いが強まったと語っていた。
父は直接の戦闘を経験せずに生還出来た。祖父は第二次上海事変に、二度目の応召で陸軍兵士として出征し、1年間上海周辺で戦闘を経験したが、無事に生還した。
私は、大海地区32柱の戦没者の記録を持っている。残されたご遺族の気持ちを思うと、二度とこんな経験をさせてはいけないと強く心に念じている。