宿毛工業高校創立60周年記念式典に出席

ブログの日にちが後先になったが、7日(土)午後1時より県立宿毛工業高校創立60周年記念式典に出席した。
県議会からは四万十市の土森、岡本県議、土佐清水市の横山県議、地元からは加藤県議も出席した。
地元代表ということで私が祝辞を述べさせて頂いた。
同校は昭和29年、幡多農高山奈分校として創立したのが始めだそうである。
橋本校長の式辞の中に、創立以来6千9百余名の卒業者を数えるとの話があった。
私が祝辞の中で話させていただいたのは、昭和42年、私が宿毛市立小筑紫中学校を卒業する年に、宿毛農工高(宿毛工業高校の呼び名になったのは昭和44年だそうである)は、学科再編で自動車科を新設した。この自動車科の新設に対して、当時の小筑紫中学3年生のクラス担任であった平田先生が、これは期待していると熱く語っていたことが強く印象に残っている。私の同級生も何名か自動車科に進んだ。
昭和41年当時、宿毛市でも自家用車は数える程しかなく、各集落に1〜2台あるという状況であり、今のように一家に2〜3台の自家用車があるという社会ではなかった。
私の父が中古の自家用車を買ったのが、私が高校2年生の終わり頃であったが、当時は早い方であった。
自動車社会がすぐそこまで来ていているというあの当時に、自動車科を新設した高知県教育委員会は先見の明があったと言うべきであろう。
今でも同校ではトヨタ自動車ダイハツ自動車に卒業生を就職させている。
同校の特徴として、県下の実業高校でも屈指の就職率の高さがあげられる。
しかも一流企業に多くの卒業生を送っているし、また、公務員課程を設け、公務員養成に力を注いでいる。
地元の宿毛市役所はもちろん、国土交通省四国地方整備局高知県庁、市町村役場などに卒業生を送り、たくさんの幹部職員が育っている。
これはひとえに歴代の教職員の熱意と、卒業生のレベルの高さと努力の成果であろうと思っている。
少子高齢化が進み、将来は幡多地域でも高校の統廃合が避けられない状況であるが、宿毛工業高校の引き続いての発展を祈る。