ブラジル高知県人会の文野副会長と再会

6年前にブラジル移民百周年記念行事でブラジルを訪問した際にお世話になった、ブラジル高知県人会の文野雅甫副会長が故郷の土佐清水市三崎の斧積に里帰りしていることが高知新聞に載った。
すぐに土佐清水支局の冨尾記者に連絡を取ったところ、その日に文野さんから自宅に電話があった。
佐清水支局の冨尾記者はサンパウロに住んで邦字新聞社に勤務していたことがあり、私がブラジルを訪問した時にも同行して、高知新聞に連載記事を書いた。
今日は斧積地区の「元気村おのづみ」のモーニングサービス交流会が行われる日で、その会場で文野さんと会うことになり私も参加した。
これを発案した文野さんの従兄弟である弘田浩三氏に話を聞いた。

[写真は会場での左が文野さん、右が弘田さん]
一年ほど前から、毎週第4日曜日の午前7時から地元の婦人部がボランティアで、地区の公会堂を使って喫茶店を開店しているという。
私が着いたのは8時過ぎでだいぶ空いていたが、市外からも訪れる方があり盛況であった。
この日も午前9時30分の閉店時間までに約160名の方が訪れたそうだ。
メニューはコーヒーとパンかおにぎり、味噌汁、サラダ、ゆで卵のセット、これで300円は安い。最近になって300円に値上げしたが、それまでは250円だったそうだ。
土佐清水市の市議や私の知り合いも二人いた。
斧積地区は三崎から3キロほど山間に入った集落で、海抜68メートル、三崎地区は海岸端で津波に襲われると被害を受けるので、斧積地区が避難場所に最適ということで、この公会堂も避難所に指定してもらって改築する要望を市に出しているとの事であった。
弘田さんの話では、この地区では平成17年から、近くにグランドを整備して運動をしたり、毎週木曜日に体操をやるなどの活動を続け、今年で10年目にはいるという。
おかげで、地区の老人が元気になったとの事である。
弘田さんは中学校の教員生活を40年経験し、現在85歳、とてもそんなお年には見えないお元気さである。
私から、統計を取って医療費が減少した事をアピールできると良いですねと提案した。
斧積地区は明治時代には400人以上の人口があったが、文野さんのようにブラジルに移住した方が106名おり、文野さんが最後の移住者だそうだ。確か昭和36年ごろ移住したと聞いた。現在の地区の人口は約110名だ。
しかし、弘田さんを中心にして4月には桜祭り、7月に七夕、9月に元気祭り、11月にスポレクと5回のお祭りを開催しており、毎回百名以上の参加があるそうだ。
大変活発に活動しており、集落活動センターの先駆けである。
文野さんの今回の里帰りは兄上の7回忌の墓参りだそうだ。前回も兄上の墓参りに帰っており、私とは大月町のコーラルフルーツ農場の岡さんのみかん農園でお会いして、三崎へ送って行った。その時に文野さんは「里帰りもこれが最後だ」と寂しそうに話していたが、何の何のまだまだお元気な73歳である。

[旧友と嬉しそうに話す文野さん]
今回も高知県との交流目的をいくつか持って帰っており、その中の一つが高知県の柚子製品をブラジルのイベントで販売する計画があり、その交渉を県の担当課と話しているとの事であった。
これは、昨年末に高知県出身のブラジルの国会議員ルイス西森氏が来県した時に県議団との懇親会で話していた事である。
ブラジル高知県人会では、最近、会長が二世である片山・アルナード・俊一氏に交代し、活発に母県(高知県のこと)との交流を進めたい意向のようである。
話は変わるが、文野さんに初めてお会いした時に、サンパウロではカラオケ大会が盛んで、文野さんは積極的に関わっているとの話であった。
今でも相変わらず盛んで「カラオケは命です」と笑って話していた。
最近開催されたサンパウロのカラオケ大会は、出場者が320名、午前8時から始まり、審査、表彰式が終わったのは24時を回っていたとの事。別のカラオケ大会は出場者が500名を超え、土日の二日間にわたって開催されるという。たまげた!