東京大空襲から70年

昭和20年3月10日未明、東京はB–29爆撃機による大規模無差別爆撃を受け、非戦闘員である民間人10万人以上が虐殺された。
昭和17年(1942年)4月18日のドーリットルによるB–25爆撃機による初めての東京空襲から始まって、昭和19年11月頃からはB–29による東京爆撃は頻繁に行われていたが、それは軍事施設や軍需工場などを標的としたもので、しかも高度1万メートルからの高高度爆撃が主体であり、爆撃の効果は非常に薄かった。
それに業を煮やしたアメリカ陸軍航空軍司令官ヘンリー・アーノルド大将は、第21爆撃集団の司令官をヘイウッド・ハンセル准将からカーチス・ルメイ少将に交代させ、ルメイ少将は高度2千メートルほどの低高度からの無差別爆撃を精密に組み立て、米国の砂漠で日本の都市を再現して、日本家屋に対する焼夷弾攻撃の有効性を何度か実験した上で3月10日に実行した。
東京の江東区荒川区などの下町、軍需工場などではなく住宅地を焼夷弾(ナパーム弾)で焼き払った。
しかも、初めに外側を爆撃して後続の爆撃機に目標を作った上で、住民の逃げ場を閉ざした上で虐殺した。これだけ民間人を殺せば日本は即座に降伏すると考えていたようだ。
数日前に、産経新聞でこの間の経緯は詳しく特集記事が掲載されていた。
民主党細野豪志政調会長は10日の記者会見で、70年を迎えた東京大空襲について「国策の誤りを反映した結果だ。過去の総括はしっかりとしていかなければならない」と述べた。東京大空襲が非戦闘員の殺戮(さつりく)を目的とした米軍の無差別爆撃であることには一切言及しなかった。」
と報道されている、この政治家はどういう考えを持っているのか、本当に日本の政治家か。
私は、何度か東京大空襲の卑劣さをこのブログに書いてきた。
大学生時代にアルバイト先で知り合った年配の男性の方が、消防団員として隅田川から大量の死体を何日もかかって引き上げた話、その方の姉が住んでいた地域へ姉を探しに行ったが見つからず、近くの道路で黒焦げになっていた赤ん坊を背負った女性の遺体を、これが姉とその子供だろうと思って眺めた話を聞かされた。
私はこの東京大空襲を絶対に忘れない。
東京裁判で日本の軍人を裁いて死刑にしたのが正当であれば、この東京大空襲を命令したヘンリー・アーノルド大将やルメイ少将も住民虐殺の罪で裁かれて当然だろう。