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続、高村副総裁講演録

高村副総裁の講演録が届いたが、A4で28ページにわたる講演なので全文を掲載することは止める。
講演は昭和20年8月以後のマッカーサーによる占領政策から始まり、日本国憲法の制定、朝鮮戦争、東西冷戦など、日本を取り巻く国際情勢の変化、自衛隊の創設、それに伴う憲法解釈の変化、砂川事件判決など戦後の政治史を振り返った上で、安倍内閣の集団的自衛権容認の閣議決定へと至る。
その中で、昨日このブログに掲載した、憲法集団的自衛権との見解についての部分を掲載します。
「あらゆる問題が国際化した今日、一国で自国の平和を守ることは、どこの国にも不可能です。 私たちは、価値観を同じくし、利益を同じくす る国々と手を携えて、初めて自分の安全を守り、 平和を享受できるのです。

そこで、憲法解釈です。日本政府は、自衛隊 を創設し、個別的自衛権を合憲としてきました が、昨年まで、なぜか集団的自衛権だけは違憲 であるとの解釈をとってきました。

一国で自国の平和が守れるならば、集団的自 衛権は不要でしょう。そんな国は地球上にあり ません。超大国の米国だって、多くの友邦と同 盟関係を結んでいます。一国で自国の平和を守 る力のない国が、集団的自衛権を放棄すると言 うことは、自分より強い敵が現れたら、国民の 安全を捨てるということになりかねません。

私は、国民を守る憲法が、国民を犠牲にして 平和主義を守ることを求めているとは思えません。それは立憲主義の本旨に反します。憲法は、平和守ることを求めているのです。国民を犠牲にして、平和主義を守ることを求めているわけではありません。

国民を守るためであれば、また、国家の存立を守るためであれば、集団的自衛権を行使するのは当然ではありませんか。守り合わねば、自分を守れないのであれば、他国と守りあうことは当然です。

ある国を守らなければ、結局は、国民の生命、自由、幸福追求の権利が根底から覆るような場合には、たとえ自国が攻撃されていなくても、武力を行使して他国を守ることは許されます。

例えば、日本の近くで戦争が発生し、既に自国に火の粉が降りかかろうとしているような状態です。例えば米軍の艦船を一緒に守らなければ、やがては侵略国が自国に攻め込んでくる。そんな状態であれば、火の粉が母屋に移る前に、火事を消そうとするのは当然だと思います。」

「政府は、1972年に、砂川事件に関する最高裁判決の法理を継承した憲法解釈を明らかにしていました。・・・ところが、この政府見解は、最高裁判決が言っていないことを付け加えていました。それは、集団的自衛権の否定です。

私は、従来から、この点に強い違和感を持っていました。その結論は、論理的ではありません。何故なら、現在の北東アジアの厳しい戦略環境において、日本が一国で日本の安全を守れるはずがないからです。

集団的自衛権を行使しなければ、日本の安全を守れないのであれば、その限りにおいて、集団的自衛権の行使もまた、認められなければなりません。

憲法上もそれが認められていることを明らかにしたのが、昨年の憲法解釈の変更です。このあたりまえのことを言うのに、実に70年かかりました。

今、日本政府が進めているのは、この新しい憲法解釈に基づく安保法制の大改革です。」