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天皇皇后両陛下のペリリュー島慰霊の旅

天皇皇后両陛下の激戦地への慰霊の旅は、数年前に訪れたサイパン島での慰霊のお姿が多くの国民に感動を与えた。
天皇陛下は8日パラオ諸島を訪れ、9日にペリリュー島で慰霊祭を行う。
ペリリュー島攻防戦についてはこのブログでも何度か書いてきた。
マッカーサーがフィリピンに反攻するにあたり、フィリピン諸島の東に位置するペリリュー島には日本軍の飛行場があり、まずはこの飛行場を潰すために行われた作戦である。
守備隊は第14師団・水戸歩兵第2連隊(中川州男大佐指揮)、歩兵第15連隊第3大隊など約11,000 人。
昭和19年(1944年)9月15日、米軍は第1海兵師団、陸軍第81歩兵師団からなる約4万2,000名の兵力で攻めた。
米軍は上陸前に徹底した空爆、艦砲射撃を行い、日本兵はもう生き残ってないのではないかと思われ、リュバータス第1海兵師団長は、作戦は4日で完了すると言ったほどだった。
ガダルカナル島攻防戦以来、マキン島、タラワ島、グァム島、サイパン島などで連戦連勝を続けた米軍は、日本軍が今回も水際での攻防戦を主体として、バンザイ突撃などを繰り返すと考えていた。
ところが日本軍守備隊の指揮を取った中川州男陸軍大佐は、短期間で固い珊瑚礁の地下を掘って、強力な地下壕陣地やトーチカを配置した堅固な防御陣地を構築し、最後の一兵まで戦い抜けとの戦法をとった。
このため、4日で作戦を完了すると豪語し、これまでの日本軍に対する上陸反攻作戦において先陣を切って連戦連勝していたアメリカ第1海兵師団は、最精鋭の第1海兵連隊が、上陸後11日めで全滅した。
この海兵隊の生き残りであるユージン・B・スレッジの書いた「ペリリュー・沖縄戦記」には、第1海兵連隊の死傷者1,749人とある。
通常の歩兵連隊の当初員数は3千人前後だから58%の死傷率である。兵力が半減すると連隊としては全滅と判定される。
また、10月30日には第1海兵師団が全滅判定(損失60%)を受けるという前代未聞の事態となり、リュバータス師団長は解任させられた。
米国海兵隊にとって歴史に残る屈辱的な戦いであった。
日本軍将兵は100%負ける戦いを、米軍による本土侵攻を遅らせるために、最後の一兵まで戦い抜いて戦死された。
すべての兵士が、祖国に残した家族を思いつつ戦死されたのであろう。
結果的に11月27日に日本軍の組織的抵抗が終わるまでに、米軍は戦死1,794人、負傷8,010人の、合計9,804人の戦死傷者をだし、日本軍は戦死 10,695人、捕虜 202人の犠牲者をだした。
この戦いで米軍指導部は、最後の一兵まで戦い続ける日本軍にこれまで以上に驚愕した。
なお、日本軍の生き残りのうち34名は戦後の昭和22年4月22日に降服した。
この島には、今も2千数百体のご遺骨が残っていると報道されていた。
激戦地に慰霊巡拝を行うと、科学では解明できない反応が数多くある。
私も慰霊に行くにあたり、遺族会のベテランの方から数珠は複数個持っていけと言われた。霊に憑かれた時に数珠を置いてくるためだ。
ニューギニアのブナやギルワでの慰霊祭では普通にそういうことが起きる。
今回の天皇皇后両陛下の慰霊の旅は天皇陛下のかねてからのご要望であったと聞いた。
この島に眠る英霊にとって最高の御供養になると思う。