ゼロリスクはありか?

4月14日、関西電力高浜原発3、4号機の安全対策は不十分として、福井地方裁判所は再稼働差し止めの仮処分を決定した。樋口裁判長は、規制基準に「万が一にも深刻な災害が起きないといえる厳格さ」を求めた。との報道があった。
地方議員とはいえ政権与党の一員としては、個々の裁判官の判断に異論を唱えるのは控えた方がいいとは思うが、一言言いたい。
東北大震災では福島第二原発宮城県女川原発は被害が無かったし、新潟県柏崎原発は、中越地震など何度も大きな地震にあいながらも、安全面がコントロールされており運転を続行出来ていた。
人類はこれまで火や火薬など、危険ではあるが生活に便利な道具をリスクを抱えながらも使い続けている。
文明の利器で一番人類に犠牲を強いているのは自動車だろう。昭和45年の1万6,765人を過去最多として減少したとはいえ、交通事故の死亡者数は平成26年も4,113人である。
交通事故の主な原因は人間の不注意なので克服できるが、原発の燃料棒の事故は人間がコントロール出来ないからゼロリスクが求められるとの反論があるのだろう。
しかし、先に挙げた事故の起きなかった原発は安全性がコントロールされたのではないだろうか。
エネルギー政策は国家の根本をなすものである。司法ではなく政治が判断すべきものではないだろうか。