真珠湾攻撃の際、当初から第3次攻撃によって燃料タンクやドック施設の攻撃を主張したが受け入れられなかった。
この新聞記事には、戦後、「米太平洋艦隊司令官であったニミッツは『ニミッツの太平洋海戦史』で『攻撃目標を艦船に集中した日本軍は、機械工場を無視し、修理施設に事実上、手をつけなかった。日本軍は湾内の近くにあった燃料タンクに貯蔵されていた450万バレルの重油を見逃した。この燃料が無かったならば、艦隊は数カ月にわたって、真珠湾から作戦することは不可能であったろう』と述べている。このことも、第3次攻撃を打診した山口の識見の高さがのちに評価される所以となった。」と書かれている。
このニミッツの話は有名である。
また、ミッドウェー海戦において敵空母発見の報告を受けると同時に、陸用爆弾をつけたままでも攻撃機を発艦すべしと、南雲長官に進言したが、これも受け入れられず、陸用爆弾から航空魚雷に搭載変換している最中に米軍の急降下爆撃の攻撃を受け、空母「加賀」「赤城」「蒼龍」が瞬く間に被弾して撃沈された。
日本海軍という組織は信賞必罰が全く出来ていない。
そんな時に「昭和天皇独白録」(文春文庫)を読んだ。
ここにも、大東亜戦争開戦時、終戦時に決断出来ない日本の指導者が描かれている。
組織が硬直化すると国を誤らせる事例が書かれている。
日本人はこの反省を十分していないのではないかと思う。