安保法制論議に関する一部のマスコミと国会議員の勉強不足

自衛隊員OBの機関紙「隊友」7月15日号に、元陸上自衛隊幕僚長で隊友会相談役の冨澤暉(とみざわひかる)氏が「自衛隊は強いのか弱いのか、の疑問にお答えしよう」という記事を載せている。
その中で、「自衛隊発足時から60年間に1500人(年平均25人)を超える訓練死者(殉職者)を出している。この殉職者の方は死ぬつもりはなかったはずだが、この訓練は極めて危険な厳しいものだということを承知の上でこれに臨み、亡くなった方々である。・・・ところで最近の安全保障法制の変更や新ガイドラインの改訂に関連して、これらの質問とは真逆に『これまで戦死者を出さなかった自衛隊から、一人でも犠牲者を出してはいけない』という意見がマスコミ上を賑わしている。
私ども自衛隊員であった者たちに言わせると、これまた誤解に満ちた困った意見である。」
との記事がある。
私は以前このブログで、同趣旨の質問が衆議院の国会質疑で野党議員からあったことを取り上げて批判したことがあった。
また、「『自衛隊は強いのか』という質問は、実は『国民は強いのか』と言い換えて、国民一人ひとりが自問自答すべきものではないか、私は、そう考えている。その意味で徴兵制の有無にかかわらず『国民の国防義務』を明記した多くの諸外国憲法は参考になると思う。」と書いている。
私の素人知識の中でも、元フランス外人部隊に在籍した日本人の書いた本や、米軍高官がテレビや取材に答えている自衛隊に対する評価は非常に高い。
自衛隊の武器や兵器は、米軍のそれに比べると型落ちだ、それでも日米合同訓練では自衛隊の方が成績が良いとの評価である。
日本人特有の律儀な国民性と、練度が高いという事だそうだ。
そして、冨澤氏は続けて「『外地に出かけてまで、危険なことをする必要はないだろう』とさらに言われるかもしれない。実は、これまでに日本に蔓延っていた『一国平和主義』とはまさにこの考え方であり、極めて利己的なものである。
私どもは『世界の平和』があってはじめて『日本の平和』があることを認識し、『日本の平和』のためにもまず、『世界の平和』に貢献することを目指すべきではないだろうか。」という。
そして、同じ第二次世界大戦の敗戦国であるドイツが、1990年代以降各種の多国籍軍PKOに参加し、犠牲者も出していることを紹介した上で「『世界の平和』を守ることは、世界の各国が危険を承知の上で協力し合って初めてできるものなのである。
2015年春に与党協議でまとめられた『安保法制の概要』や日米両国で合意された『新防衛協力指針(ガイドライン)』は、各種事態対処の法的根拠が本来異なるにもかかわらず、それらを曖昧な「集団的自衛権解釈』で一括りしているところが説明を難しくしている。
その点での不満は残るものの、全体として私は、よくぞここまで『積極的平和主義』を具現化してきたものだ、と高く評価している。」と書いている。
私も世界平和には日本も積極的に関わっていくべきだと考えているが、海外派遣するにあたっての法整備に不満を持っている。
そして後段の、集団的自衛権、個別的自衛権、集団安全保障体制の区別がキッチリ分からないままに国会議論が行われていることに対する不満については同感である。