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日本政府が、中国がユネスコに申請した「南京大虐殺文書」について抗議

日本政府は13日、中国がユネスコに申請した「南京大虐殺文書」が世界記憶遺産に登録されたことを受けて、分担金拠出の停止や削減などを対応を検討しているとの発表があった。
官房長官の会見をテレビで見たが、今後きちんと対応してほしいと思った。
南京大虐殺は日本では、中国の指摘するような30万人の虐殺はありえないとの説が多数を占め、教科書からも削除されたものが多い。
詳しく述べるつもりもないが概要だけ記す。
昭和12年(1937年)12月、第二次上海事変に引き続いて日本軍は当時の中国の首都である南京攻略作戦を行った。
蒋介石は真っ先に逃げ出し、司令官である唐生智に降伏するように伝えたが、唐生智はこれを拒否して徹底抗戦を主張したという。
ところが日本軍の攻撃が始まると、唐生智司令官も部下をほっといて降伏命令も出さずに南京から逃げ出した。
これが国民党軍の大混乱につながった。兵は軍服を脱ぎ捨て民間人になりすまして、便衣兵と呼ばれたゲリラとなり一部は日本軍に抵抗して殺された。
防衛研修所戦史室の「戦史叢書」には南京攻略戦における敵の損害は約8万人、遺棄死体は53,874人と記録されているが、この数字も過大ではないかとの指摘もある。
当時南京の人口は約20万人、中国の現在の主張通り30万人が虐殺されたのであれば南京に人はいなくなる、人数の辻褄も合わない。
しかし、日本軍の南京入城は整然と行われており、日本の小旗を振っている中国人が大勢写った写真がある。
また、当時、アメリカをはじめ西欧の新聞記者が南京にいたが南京に人がいなくなったとの報道はない。
南京戦から2年後の昭和14年(1939年)、南京安全区に集中した南京市民の面倒を見た国際委員会の活動記録が、国民政府国際問題研究所の監修で上海の出版社から刊行されており、それによると
、南京の人口は日本軍占領直前に20万人、占領1ヶ月後の1月に25万人と記録されている。
日本軍の南京入城以後、かえって南京の人口は増えている。治安が回復して人が戻ってきたのだ。
また、当時蒋介石毛沢東南京大虐殺には言及していない。毛沢東にいたっては戦後も南京大虐殺に言及したことはないと言われている。
平成15年(2003年)に公開された国民党宣伝部の極機密文書である「中央宣伝部国際宣伝処工作概要」によると、蒋介石は南京から逃げ出して重慶へ逃げていくが、蒋介石政府はその間300回以上の記者会見を行ったが、一度も南京での虐殺について口にしていない。
南京大虐殺東京裁判で突然出てきた。しかし、東京裁判において直接殺人を見たという証言は出なかった。