9時15分から参議院自民党国会対策委員会、同40分から参議院議院運営委員会、ここで9時22分に安倍総理から内閣総辞職の届けがあったとの報告があった。
同時刻から参議院自民党議員総会が開かれており、議運終了後に合流、この時点では会期はまだ未定、国対幹部が野党と折衝中との報告があり、衆議院では民進党が消滅したので野党との折衝が長引いているそうだ。
また、8日に天皇陛下をお迎えして国会開会式が行われるとの報告もあった。
この時点では8日は閉会の予定、閉会日に開会式をやるというのもおかしいなと思っていたら、天皇陛下の日程でこうなったとの事であった。
10時参議院本会議開催、本会議場の座席指定と公明党の新議員の紹介のみで5分で休憩、終了後、私の所属する東日本大震災復興特別委員会が第一委員会室で、政治倫理の確立及び選挙制度に関する特別委員会は別館4階で開催、委員会会議室へ走って移動する議員もいた。
11時25分から2度目の議院運営委員会、ここで初めて会期が12月9日までと決まった。
議員間で39日間も何をするのだろうとの話が出た。
同僚議員と食堂で食事、12時30分から自民党両院議員総会、安倍総裁、二階幹事長、橋本参議院議員会長の挨拶と衆議院の新議員と元職の紹介があった。
高村正彦副総裁の息子さん、正大さんにお祝いの挨拶をした。正彦先生に、24日に当選祝いの電話をしたら、本当に嬉しそうな声であった事を伝えた。
私が高村正彦法律事務所に勤めていた頃は、正大さんは小学生だった。
関東ブロックの比例区では埼玉県など3県の自民党県連事務局長が名簿登載されており当選した。本人達が一番驚いているだろう。
13時から合区となった4県の参議院議員の会、14時25分から2度目の議員総会、14時40分から2度目の参議院本会議開催、会期決定と首班指名、
野党は立憲民主党と共産党のほか何名かに分かれた、これは以外だった。
15時休会、やっと解放された。久しぶりの国会、内閣総辞職から安倍総理の首班指名まで約6時間の空白がある事を初めて知った。