ペリリュー島戦没者慰霊祭に参列

23日(金) 水戸市茨城県護国神社で、水戸歩兵第二連隊並びにペリリュー島守備部隊の戦没者合同慰霊祭に参列した。

以前からペリリュー島の戦いを調べていて、この戦いから、硫黄島沖縄戦と続く激戦が、米国にとって多大な損害を出し、日本国憲法第9条の制定、すなわち、日本国には二度と再び軍備は持たせない、永久にこの国を米国のコントロールの下に置く。と決めたと考えているからです。

最近、新聞の書評であったか、

「『玉砕の島』ペリリューから帰還した父」という本を読んで、毎年茨城県護国神社で慰霊祭が行われている事を知り、水戸二聯隊ペリリュー島慰霊会に問い合わせたら、事務局長の影山幸雄さんから招待状が届いたので参列した。

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(左側の立ってマイクを握っているのが影山事務局長、日の丸の前の方が園部会長さん、その右隣が永井さん。)
会場で会長である園部満さん(第二大隊副官園部大尉の遺児)と、戦友である永井敬司さんにご挨拶する事が出来た。永井さんは100歳に近いだろう。

慰霊祭に先立ち、合同会議が行われ、その際、影山事務局が私を紹介してくれて挨拶の機会を与えられた。その後に挨拶に立った方の中に、先の本の著者である、ゆき恵・ヒアシュさんがいた。

米国のサクラメントから来たという。

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慰霊祭が終わり、直会になったらゆき恵さんが私の隣の席に座られたので、話をする事が出来、記念写真も撮らせていただいた。

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慰霊祭は90名以上が参加して厳かな雰囲気でおこなわれた。

参加者は、戦友が3名、ご遺族以外に「崇敬者」と書かれた方々が五十数名と取材の記者が5名いた。

崇敬者というのは、このペリリュー島の戦いに注目して参列されているのだろうと思う。

ゆき恵・ヒアシュさんは、15年かけて父が戦ったペリリュー島戦調べ上げてこの本を完成させた。

父上は戦いが始まる直前にパラオ本島に転勤となり、戦後帰還されているのだが、死ぬ間際に、もう一度ペリリュー島に行きたいと言いつつ亡くなったそうだ。

父上の死後、ゆき恵さんはペリリュー島戦を調べ始め、父の生前にもっと話を聞いておけばよかったと悔やんだと書かれてある。

戦友の永井さんは、昭和22年に降伏して帰国された34名の兵士の一人で、元陸軍軍曹、34名の兵士も永井さんだけになったそうだ。

私はこのペリリュー島の戦いはもっと日本国民に知ってもらうべきだと思っている。

同時期に隣のアンガウル島で戦い、重傷を負って捕虜となり、戦後帰国された船坂弘氏(渋谷大盛堂の元社長)が何冊かペリリュー島の戦記を書いているし、米国海兵隊の兵士であったユージン・B・スレッジ氏の書いた「ペリリュー、沖縄戦記」はいい本だ、アメリカでテレビ映画にもなり、DVDも出ており、これを見るのが一番わかり易い。