東日本大震災から8年

被災地の岩手県宮城県を最初に視察したのが、その年の7月だった。

西森潮三県議から話があり、仙台に支店のあった高知市の建設会社、大旺新洋(株)の尾崎社長の案内で2日間にわたり、岩手県宮城県津波被災地を車で回った。その様子はこのブログに書いた。

石巻市、女川町、南三陸町陸前高田市など、想像を絶する被災地の状況に言葉もなかった。

この状況は、数年後に私の故郷高知県宿毛市の海岸部も同様な姿になると確実に思った。

私の故郷宿毛市小筑紫町大海は、背後に山が迫り海に面した戸数120軒ほどの漁村だ、被災地の中には同じような地形の漁村がいくつかあった。

そこは津波に襲われ、家の土台以外何も残っていなかった。

それから公務、政務合わせて7度被災地を訪ねた。

江戸時代末期の嘉永地震津波では、宿毛市に残っている古文書に「海岸部は亡所」と記述がある。

海岸部の大島地区の神社の階段に、ここまで津波が来たとの石碑が立っている。海抜9メートルの津波が来たことがわかる。

次の南海トラフ地震は確実に来ると予想されている、その時には嘉永津波と同じか、それ以上の津波が来る。

死者・行方不明者はもちろん、被害を少しでも減少させるのが政治家の務めだと思っている。

視察した被災地の何ヶ所かで言われた。「警察、消防、役所は高台に移転して下さい。救助活動や復興支援をするにあたり、拠点がなければ進まない。」

この言葉を肝に命じ、県内各地でこの話をしてきた。

昨年、宿毛市の中平富宏市長の決断で、議会の同意を得て宿毛市役所を高台に移転することが決まった。

素晴らしい決断だと思う。

庁舎のある市内中心部の住民から反対の声が上がった、それもわかる。

しかし、昨年の西日本豪雨の際にもこの庁舎は周りの道路が浸水して入ることが出来なかった。

まして、津波の際には全壊に近い状態になることが予想されている。これを放置することは、発災時には行政が怠慢だったとの非難の声が上がるであろう。

中平富宏市長はよく決断したと評価する。

市庁舎の移転前に南海トラフ地震が来ない事を祈っている。

数日前のテレビ番組で岩手県宮城県津波被災地で、工場や会社の再建に取り組んだが失敗した経営者のインタビュー番組を見た。

被災者が元の故郷に戻っていない状況では難しいであろう。

何より私が注目したのは、1人の方は津波で息子さんが亡くなられ、それから三ヶ月後に奥さんが癌で亡くなられていた。

もう1人の方は顔も周りの風景もボヤかしていたが、三つの位牌があった。

1人の方は、工場再建に打ち込まなければ精神的に持たなかったと話しておられた。

被災後のテレビ報道で、家族5人を亡くされた方、3人を亡くされた方の話を聞いた。いずれも残されたのは60代後半の男性であった。

先日のテレビ報道も含めて、一度に複数の家族を亡くされた方の心の中はいかばかりか。

私はいつも思う、自分がその立場になった時、自分は精神の均衡を保てるのかと。

何回目かに被災地を訪れた時に、教育委員会で被災した子供達の心のケアの話を聞いた。

中には家族全員が亡くなり、たった1人残された子供もいると聞いた。この子達の心を開くには何年もかかると聞いた。

地震津波だけでなく、日本各地で災害が続発している、国も国土強靭化に積極的に取り組んでいる。

私は被害を最小限にとどめる事に全力を尽くす所存です。