28日(金)羽田空港から岩国基地へ飛び、午後、海上自衛隊岩国基地のUS-2救難飛行艇部隊を視察した。
第31航空群司令の大西哲海将補、第71航空隊司令の宮崎研三 1等海佐、そして第31航空群司令部首席幕僚の町島敏幸 一等海佐が出迎えてくれた。
司令部入口でイギリスから購入した機を国産化したショートF5飛行艇、97式大艇、2式大艇から現在のUS-2に至る飛行艇の写真の説明を受けた。
100年以上同じ会社が(川西→新明和)飛行艇を造り続けている例は世界にもないそうだ。
1980年(昭和55年)7月、米軍から返還された二式大艇が東京湾に面した有明の、船の博物館の敷地に展示された。
当時東京に住んでいた私はオートバイで何度か見学に行き、昭和17年にこんな素晴らしい飛行艇を造った日本の技術者を本当に誇らしく思った。
全長28メートル、翼幅38メートル、11人〜13人乗組、4発の大型飛行艇である。ちなみに米軍のB-17爆撃機は全長22.8メートル、幅31..6メートルである。
その前に昭和13年から運用が開始された4発の九七式飛行艇が開発されていた。(下の写真)
私は飛行艇に関する思い入れが強いのでここらで一旦止める。
それらの流れをくんだUS-2飛行艇の全長は33.3メートル、翼幅は33.2メートルで11人が乗組む。
私と一字違いの大西哲司令、US-2のパイロットであった宮崎司令(右端)との話が弾んだ。
US-2は2009年(平成21年)に量産初号機である3号機が納入され、運用が開始された。
6機が納入されたが、土佐沖の事故で1機が水没し現在は5機が配備され、来年6機目が納入される。
US-2の配備は5機、1機は定期点検に入っており、1機は部品取りと化しており、実際に運用できる飛行艇は3機ということである。
この日は1機が故障し、2機しか稼働できない状態であった。
これで日本全国をカバー出来るわけがない。
以前は厚木基地にUS-2を配置していたが、現在はそれが出来ないので、小笠原諸島などからの要請に即座に応えることが出来ない。
この日は最新の操縦シュミレーターにも乗せて頂いた(下の写真)。本物の操縦室と同じだそうだ。
シュミレーターも動くし、周りの風景は素晴らしい出来栄えで、海上への着水、離陸、羽田空港への着陸離陸を経験させてもらった。
格納庫で宮崎司令の説明を受ける。
下の写真左が大西司令、右が宮崎司令、
US-2の前のUS-1は1976年(昭和51年)6月から運用が開始され、20機防衛庁に納入された。
アメリカは第2次大戦中に南太平洋において、4発のカタリナ飛行艇が偵察機として、また、墜落したパイロットの救出に大活躍した経緯があったが、現在は飛行艇の製造・配備を行なっていない。
日本においても対潜哨戒機PS-1、救難飛行艇US-1からUS-2に更新する際に、飛行艇の製作を続行するのか、オスプレイに機種変更するのかで議論が行われた経緯があった。
US-2も将来配備を続けるかどうかの判断が求められる。
US-2の活躍としては2013年6月21日、太平洋横断中の辛坊治郎さんが救命ボートで漂流されているところを救出された事件が有名である。
またUS-2は平成21年に採用されたにもかかわらず、早くも部品が足りず、すでに1機が部品取り状態になっている。
ここでも部品の供給が全く間に合っていない為に飛べない。
自衛隊の構造的な問題であり、私は防衛省幹部に強く改善を申し入れており、少しずつ改善が進んでいる。
二式飛行艇は2004年(平成16年)から、船の博物館から鹿児島県の海上自衛隊鹿屋基地に移され、雨曝しで痛みが激しいため、岩国基地に移設する計画が進められている。是非実現を願う。
また、岩国基地は米軍 との共同使用であるが、格納庫や宿舎、施設など、米軍と自衛隊との格差が激しい、それについては次の機会に書く。