30日(水)午後6時から霞ケ関の霞山会館で、元参議院議員、元日本陸軍参謀の堀江正夫先生の104歳のお祝いと、「大東亜戦争とニューギニア」と題するご本人の講演会があり出席した。主催は日本・パプアニューギニア協会(会長は田中和徳衆議院議員)である。
堀江先生(上の写真)は、終戦時には日本陸軍第18軍参謀、終戦後警察予備隊に入隊、陸上自衛隊西部方面総監を務められて退官され、1977年から自由民主党の参議院議員を2期勤めた。現在は東部ニューギニア戦友遺族会の会長である。
104歳とは思えないほどの記憶力の良さで、大東亜戦争とニューギニアの戦いを1時間15分にわたり話された。
堀江先生がニューギニアへ派遣されたのは昭和18年12月にウエワクへ上陸したと話された。
東部ニューギニアの戦い、ブナ、ギルワが全滅したのは同年1月末なので、その後となる。
東部ニューギニアのポートモレスビー攻略作戦は南海支隊によって戦われた。
中心となったのは高知で編成された歩兵第144連、この部隊は日本で初めての海兵隊で、大本営の直轄部隊である。
そして広島県福山市で編成された歩兵第41連隊、大阪で編成された独立工兵第15連隊などである。
そして独工15連隊の生き残り兵士の息子さんである高野山の辻本喜彦さんが主催する南海支隊戦友遺族会に、私が特別会員として参加させて頂いた時には90歳を超えた西村幸吉さんがご存命で、私は2度一緒に慰霊巡拝で東部ニューギニアを訪れた。
何度も行われる現地での慰霊祭の際に、悲しげな顔で黙想する西村幸吉さんのお姿は、私の脳裏に焼き付いている。
辻本さんの話では、数十年前に初めてニューギニアを訪れたのは堀江先生と一緒であった。先生は南海支隊の戦友遺族の方を大変親切にお世話して頂いているということです。
南海支隊は西村幸吉さんがお亡くなりになり、高知県で行われている慰霊祭に参列される戦友もいなくなったが、今年も10月20日に高知県護国神社の慰霊碑前で行われ、私も参列した。
【追記】