13日(金)午前10時30分から千鳥ヶ淵墓苑でパラオ諸島のペリリュー島、アンガウル島から5柱、そしてガダルカナル島から6柱の戦没者の帰還式があり参列した。
それぞれの遺骨収容団が11月末から現地で活動して昨日帰国された。
ガダルカナル島には収容されたものの、未だ帰還がかなわないご遺骨が約300柱あるとの報告があった。
下の写真左側がご遺骨収容団である。大変な暑さの中での収容作業、本当にお疲れ様でした。
私にとっては3島とも特別な思いのある島である。
ガダルカナル島は昭和17年8月から18年2月にかけて日米で戦われた。
餓島とも呼ばれたように、兵站を軽視し、初戦に勝利しておごりがあった日本軍の大敗戦である。
ペリリュー島の戦いは昭和19年9月から始まり約2ヶ月、米国海兵隊第一師団が大敗をした。
このブログで何度も書いたので省略するが、
この島の攻防戦、そしてこの後の硫黄島の戦い、沖縄の戦いで、米軍が大苦戦をした事が日本国憲法第9条を作った要因だと思っている。