中野剛志「日本経済学新論」を読んで

中野剛志先生から送っていただいた「日本経済学新論」渋沢栄一から下村治まで)という副題がついている。

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明治維新から現代までの、貨幣政策と財政政策を解説した本で、相当難解な本でまだ完読していない。その中で印象に残った記述を紹介します。

明治時代に、金井延の「社会政策学会趣意書」にはこう書かれている。

「余輩は放任主義に反対す、何となれば極端なる利己心の発動と制限なき自由競争とは貧富の懸隔を甚だしくすればなり、余輩はまた社会主義に反対す、何となれば現在の経済組織を破壊し資本家の絶滅をかるは国運の進歩に害あればなり、余輩の主義とするところは現在の私有的経済組織を維持し、その範囲内において個人の活動と国家の権力とに依りて階級の軋轢を防ぎ、社会の調和を期するにあり、」

新自由主義の欠点を批判している。

渋沢栄一は「論語と算盤」が有名で、ずいぶん前に読んだ。このブログで紹介もした。経済人の道徳を説いた本で、感動した。

「渋沢は、資本主義の発展に伴う弊害として、貧富の格差とともに、地方の衰退をも懸念していた。

彼は、地方振興策については、地方ごとに実態を調査する必要があるとして具体的な提案を避けつつも、地方の衰退が『国家の元気を損するやうなことになりはせぬか』と深く憂慮している。

都市への人口集中と地方の過疎化により、国全体としてはかえって生産力が落ちる恐れがあるというのである,」(175ページ)

渋沢は明治時代に、安倍内閣も掲げる「地方の発展なくして国の経済成長なし」と同じ事を指摘しているのである。

この本では明治維新以後の渋沢の貨幣論と財政論を評論して、この第1章から第5章までが難解で進まないので、私は第7章と8章の高橋是清論から読んだ。

昭和2年の金融恐慌、昭和5年世界恐慌から高橋是清大蔵大臣が、積極果敢な財政政策と金融政策で世界に先駆けて脱出した話だ。

昭和6年から高橋是清大蔵大臣がとった政策は、金本位制からの離脱と金兌換の停止、金利の引き下げ、日銀券の発行限度の引き上げ、そして日本銀行による国債の直接引き受けと財政支出の拡大である。

これによって1931年(昭和6年)から1936年(昭和11年)にかけて、国民所得が60%増加し1936年には完全雇用の状態を達成したが、消費者物価は18%しか上昇しなかった。

日本はアメリカよりも5年も前に世界恐慌からの回復を果たしたのである。」(同書119ページ)

1931年(昭和6年)9月には満洲事変が始まり、翌年2月に満洲全土の占領で終結したが、この戦争がなければ、日本はまだ飛躍的に経済発展を遂げていたであろう。
また、高橋是清は「『入る計って出るを制する』という均衡財政の考え方は、『国際関係、ことに世界の経済関係、発明のために事業と、運輸交通の事業、その他百般の工業が起こるということのない時代』、すなわち産業資本主義以前の時代の遺物である。政府が積極的に経済を進行し、各国がその経済力において競争するようになると、経済力を強化するのに税収だけでは十分ではなくなる。そして財政赤字を可能にしてでも歳出を増やすことのできる国家こそが勝者となる。時代の変化を踏まえて、均衡財政に代わる新たな積極財政論の必要性を説いている。」(273ページ)

安倍総理は4月28日の衆議院予算委員会の答弁で、この考え方を披露したが、財務省の抵抗にあっているのか未だそれが実現されていない。

一日も早く政策転換される事をお願いします。