観光が主要産業であるバリ島において、2年以上のコロナ禍は大打撃で、このウェスティンホテルの会議場も2年以上使われていなかった為、世界中から集まっている議員たちの同時通訳の回線がうまくいかず、雑音が多くて何度か会議が中断した。
また、当初はコロナ禍の為、今回の会議場であるウェスティンホテル(我々はここに泊まった)のあるヌサ・ドゥア地区以外は出られないということであったが、到着する直前にそれが解除された。
その為、会議の合間をみて、2002年10月12日に発生したバリ爆弾テロ事件の慰霊碑を訪れ、202名の犠牲者に献花をさせていただいた。
この事件では新婚旅行でバリを訪れていた鈴木ご夫妻が犠牲になられた。
下の写真が献花です。
下の写真の背景の黒色の石に犠牲者のお名前が彫られており、右端の上に鈴木ご夫妻の名前があります。
私の右側は、案内していただいたバリの日本国総領事館の大橋貢一首席領事です。
下の写真の空き地が事件現場のレストラン跡です。
鈴木夫妻のご両親は、事件後、コロナ禍まで毎年行われている政府主催の慰霊祭に参列されているそうです。
なお、この事件以後、インドネシア政府はイスラム過激派に対するテロ対策を強化し、その後はテロは起こっておりません。
下の写真はデンパサール市内中心部にあるホテルです。
コロナ禍までは、1階はお店が入っていたそうですが今は全店休業、上の3階は客室ですが、今は閉店です。バリ州は固定資産税が安いので経営者はやっていけるとの説明がありました。
こんなホテルが道路沿いにいくつかありました。
下の写真は街の様子、コロナ禍前は、沢山のスクーターと人であふれていたそうですが、現在は開いている店も少なく、人通りもまばらです。
すぐ下の写真は爆弾事件の現場付近、一番の繁華街だそうです。
下の2枚写真は別の中心街です。
また我々の泊まったホテルのあるヌサ・ドゥア地区は外部から許可なく入れないようになっており、いくつかのホテルとショッピングセンターのある地域ですが、ショッピングセンターは日本のそごうデパートが開いているくらいで、ほとんど閉店状態でした。また、ショッピングセンターに入るにはワクチン接種証明書が必要でいちいちチェックされます。
24日、IPU会議閉会後、ジャカルタへ移動する飛行機便が満席便が多くて上手く取れず、時間があるので、空港近くに昨年12月オープンした、日本の鹿島建設経営の高級ホテル、ジンバラン・グリーンヒルを訪ねました。
ここは広大な海外沿いの山を利用して1部屋1部屋が独立したヴィラになっており、1部屋1泊12万円から70万円までだそうです。
我々が案内されたこのヴィラは1泊70万円だそうです
下の写真、私と鉢呂吉雄議員との間に立っている女性がバリ総領事館の勝又晴美総領事です。
インドネシアは貧富の差が大きいのですが、お金持ちが泊まりに来て好評だそうです。
コロナ禍が治れば、世界中からお金持ちが訪れるバリ島ですから、成功すると思うと、鹿島建設の担当者が話してくれました。
鹿島建設は海外では何ヶ国かでホテルを経営しているそうです。
この日は、バリ島発17時15分発の飛行機でジャカルタへ移動、飛行時間は約2時間、時差も1時間遅れる。
空港から日本大使公邸へ行き、金杉憲治大使主催の夕食会に招かれました。
空港内のホテルへ宿泊し、翌日午前7時15分発の全日空便に乗りましたが、駐機場を離れてすぐの滑走路に止まって動かず。
エンジンの逆噴射装置の故障表示が出たので修理するという機長の放送があり、40分を過ぎたあたりで、修理に時間を要するので、全員一旦飛行機を降ろされた。
我々は空港内のラウンジで待っていたので、それほど不自由ではなかった。
結局3時間5分遅れの午前10時20分に滑走路に向かったが、離陸したのは10時53分だった。
羽田空港までは約5930㎞、6時間37分の飛行時間だ。
羽田空港へ着いてからPCR検査会場が遠い。
また、検査もスマホにワクチンの接種回数と出国前からのPCR検査状況が記録されたソフトを入れてあり、QRコードで直ぐに読み取れるようになっているにもかかわらず、3箇所で一々名前とスマホを厚生労働省の職員が別のチェック用紙にチェックをしていく。この為時間がかかり行列が出来る。
何のためにスマホのソフトがあるのだ。
インドネシア入国時はスマホを機械にかざして読み取るだけで入国出来た。
この点、日本は改善する必要がある。同行議員も同じ意見でした。
その後、PCR検査結果は全員陰性で、飛行機を降りてから1時間35分ほどで羽田空港を出発する事が出来た。
衆参議院の事務局の皆様、空港関係者の皆様、お世話になりまして有難うございました。
ただし本日、26日(土)から28日(月)までの3日間は宿舎で待機です。
3日目にPCR検査を受け、陰性であれば仕事に復帰出来ます。