旧友再会


8月30日(火)は島根県松江市中四国9県正副議長会に出席、年に1回の定例会で来年は高知県で開かれる。
9月1日(木)は午後1時から大分市で全国都道府県議長会の国土交通部会の現地視察があり、前日8月31日(水)に別府市に移動した。
隣の大分市には中央大学少林寺拳法部の同期生古宮哲也君(旧姓利光)がいる、電話では時々話しをするが十数年会っていない、前もって連絡できなかったが顔でも見えればと思って松江市を出るときに電話した。
彼は結婚の際嫁の実家に養子に入り、義父の後を継いで家庭用品の卸問屋を経営している、電話した時間は会社の朝礼の最中であったので後で電話があった。
別府へ午後2時30分頃着く予定だと伝えると、自分の予定をキャンセルしてホテルへ行き周辺を車で案内すると言う。ただし、夜は予定が入っているというので、顔が見られればそれで良いと伝えた。
午後2時40分に別府駅前のホテルに入った。古宮は3時にホテルに来てくれた。
別府は何度も来ているので観光地見学はしなくともいいと言うと、見せたいものがあり、先方に高知の県議会議員が視察に行くと伝えているという。
それは別府市の近くの九重町にある九州電力八丁原地熱発電所であった。
地熱発電所は福島原発事故以来、別の電力源としてたびたび名前を聞くが詳しい仕組みがわからなかったので大いに興味があった。
古宮の車で湯布院町を過ぎて30分ほど走り、16時30分に八丁原地熱発電所に着いた。
標高1100メートルの高所にあるので涼しい、展示館で説明する女性職員が待っていてくれた。
地熱発電は地下の熱源から蒸気を作ってタービンを回して発電する、基本的に火力発電所原子力発電所と仕組みは同じである。
熱源が温泉の水蒸気であり、蒸気溜りを地熱貯留層という、そこから蒸気井のパイプを使って高温高圧蒸気(約300度)を取り出す。
ここの蒸気井は約30本あり、浅いもので760メートル、深いものは3千メートルあるという。
取り出した蒸気を気水分離機に導き、高温蒸気はタービン室に送られタービンを回す。高圧高温水はフラッシャーというタンクに送られ再度高圧蒸気を作り、この蒸気もタービン室に送られタービンを回す。
フラッシャーの残りの水は還元井のパイプで再び地中に戻される。
熱源である地熱貯留層の探し方は人工衛星を使用し、その後ボーリング調査をして試掘をして蒸気だまりを探し出すという。
ここのパンフレットを見て初めて知ったが、地熱発電所はここの他に鹿児島県秋田県岩手県宮城県福島県、八丈島にある。
ここ八丁原地熱発電所の発電能力は1、2号機共に5万5千キロワット、合せて11万キロワットで国内では最大である。
危険性はないし、なぜ広がらないのかと尋ねると、近くの温泉業者から反対の声が上がるので、ここもこれ以上拡大する計画はないという。
確かに温泉業者にとっては死活問題になる可能性がある。
展示館は午後5時に閉館となるのでお礼を言って帰った。
それにしても、ここにいたる道路の景色が素晴らしい。
交通量も少なく、オートバイで走るには最高の景色である、いつかここをバイクで走ろう。
湯布院町へ行く、市町村合併で湯布院市となっていた。
湯布院は観光客が多く、車の通行も規制しているとのことなので九州自動車道から眺めるだけで行ったことがなかった。
この日着いたのが17時30分過ぎであり、夏休み最後の日とあって観光客は非常に少ない。
古宮が源泉の金鱗湖を見せたいというので車で街中を走ったが、あまりの観光客の少なさに彼が驚き、駐車場に車を止めて街を歩いた。
彼の話では県外から友人が来るたびに由布院を訪れるが、こんなに観光客が少ないのは初めてだという。
車の通行規制もそれほど厳しくはないが、普段は観光客が多いために街中は走れないという。
金鱗池を見ながら40分ほど歩いたが、由布院の人気の高さに納得した。それぞれの店の造りが落ち着いている、土産物屋は午後6時に閉まるということで、閉まった店が多かった。
午後6時50分頃、由布院を後にして別府へ帰った。
彼は夜の予定もキャンセルして、議長秘書の馬殿君と一緒に別府駅前でおいしい夕食をご馳走してくれた。
翌日昼飯を食べていると、中大少林寺の3期上の岡克己先輩から突然電話があった。
古宮から電話があり私が来ていることを知って電話してくれた、大分市中心部に住んでいるので少しでも時間があれば会いたいとい言う。
私は午後1時10分から大分県庁で仕事があり、その後、佐伯市蒲江の高速道路建設現場を視察し、佐伯市で市長を始め地元の有志との意見交換会、懇親会があり、別府のホテルへ帰るのが午後9時半になる予定を説明すると、それでは今回は会えないか、なぜ前もって連絡をくれないかとお叱りを受けた。
有難い事だが、こちらも海外から帰った後の日程を把握しないままで松江市に行った。次に大分に来るときには必ず連絡するとお約束して電話を切った。
ところが、ホテルへ帰り着く時間の午後9時半過ぎに岡先輩から電話があり、ホテルで待っているとのことである。
これには恐縮した。バスが遅れて9時50頃ホテルに帰った。
岡先輩とは数年ぶりの再会である、お土産の焼酎を持って駆けつけてくれた。
岡先輩は大分市役所に勤めていたが、昨年定年を迎え現在は大分市も出資している会社の代表取締役であった。
5分ほどといいながら、岡先輩の同期で私が東京在住時代に懇意にしていただいた岡山の藤井先輩にも電話して話に花が咲き、40分ほど話をして今年中に必ず大分を訪れることを約束して別れた。
岡先輩とは大学時代に面識はなかった、OB会で会ったのが最初である。
同じ中央大学少林寺拳法部の仲間だということで輪が広がる、私にとって貴重な人脈である。
今回の旅では大分県議会事務局の大久保次長が、少林寺拳法部ではないが同じ中央大学ということでわざわざ挨拶に来てくれた。