県詞の日懇親会

「自由は土佐の山間より」という言葉を高知県の県詞とすべしという請願が平成12年9月議会に提出され、10月13日に全会派一致で可決した。
この日にちなんで10月15日(土)高知市内の料亭「濱長」で開かれた懇親会に、主催者から案内があり大石宗県議と二人で出席した。
大石県議から多くの県議に声をかけたそうだが、議会終了後初の土曜日ということで各県議とも地元行事と重なって県議の出席は二人だけとなったようである。
主催者は元共産党県議会議員自由民権運動の研究家である公文豪さんである。
公文さんは県議会議員二期目の平成12年、モードアバンセ事件と呼ばれた、同和関係団体に対する県執行部の不正融資事件に際して、独自の調査で事件の解明を計り県議会百条委員会において真相解明に中心的な役割を果たした。
私も当時百条委員会の一員で公文さんの調査能力に敬服し、真相解明に協力した一人である。
公文さんはその2年後の県議選に落選した後は政治活動を辞め、以来共産党からも離党し、明治時代の立志社をはじめとする自由民権運動の研究に力を注いでいる。
この日は共産党の関係者も数名出席していた。
大石県議とは高知市立自由民権記念館で時々会うそうで、私は2年前の大石県議の結婚披露宴で久しぶりに公文さんと会った。
私は県詞の日制定以来すっかり忘れていたが、公文さんの話では毎年10月に講演会などを開催してきたそうである。
この日は明治時代にできた土佐の民権歌「世しや武士」復刻版が自由民権記念館の松岡館長の編集で、料亭「濱長」の女将・濱口賀世さんの協力を得てCD付きで出版されたのを記念して「濱長」で宴会となったものである。
何年前か忘れたが、地元テレビで酒のコマーシャル(土佐鶴?)でよさこい節のメロディーで「よしや たんかい くめつのちでも・・・」と聞こえる歌詞が流れており、私は当時女房からこれは何の歌?と聞かれて、歌詞の意味が分からないので、よさこい節の替え歌だろうと答えていた。
今回はじめてこの歌詞が「世しや武士」の一番目にある「よしや 南海 苦熱の地でも 粋な自由のかぜがふく」という歌詞であることが分かった。
「世しや武士」は明治時代に作られた土佐の民権歌であり、川上音次郎の「おっぺけぺエ節」と同じ趣旨の歌である。
また、よさこい節のメロディーが江戸の幕末時代からあったという話もはじめて伺った。
復刻版によると、「世しや武士」は明治10年に作られており、曉鴉山人選という歌詞は68番というか、68行もある。そのうち11番を抜き出して歌詞カードが作られていた。
おもしろい歌詞なのでいくつか記す。
よしや 此身はどほなり果てよが 国に自由がのこるなら
よしや 憂目(うきめ)にアラビヤ海も わたしや自由を喜望峰
よしや シビルはまだ不自由でも ポリチカルさへ自由なら
などとあり、明治時代初期の自由民権運動の意気が伝わる。
料亭濱長は女将が復活してから芸者も復活した、明治時代も自由民権運動家が料亭でこの歌を歌って意気を上げたことであろう。
この日も芸者さんがCDに収録してある、「手毬唄」、「世しや武士」、「民権かぞえ歌」、「民権都々逸」などを歌って大いに盛り上がった。
宴会ゆえ写真を撮らなかったが残念だ。