平成23年度 高知県戦没者沖縄慰霊祭

毎年この時期に、高知県遺族会の主催で沖縄県八重瀬町にある土佐ノ塔で慰霊祭が行われ、私は三回目の出席である。
11月21日午前8時に沖縄県護国神社に参拝し、午前10時30分から土佐の塔で慰霊祭が行われた。
土佐の塔には高知県出身沖縄戦戦没者832柱、南方諸地域での戦没者17,713柱の合計18,545柱が祭られている。
旧具志頭村の時代から現在の八重瀬町になっても町長はじめ多くの町民と沖縄県関係者が参列してくれる。
高知県からは知事代理で小田切地域福祉部長が出席した。
今年は県議会から大石宗県議、依光滉一郎県議も参加し、私が土佐の塔で二人にこの塔の由来と、沖縄戦最後の戦いの地である、この付近の戦闘について説明した。
二人の参加の訳は、今年は遺族会が初日に石垣島を訪れ、翌日に竹富島西表島を観光する日程が組まれた話を大石県議にしたところ、彼の祖父が大東亜戦争の末期に高知県出身者で編成された竹富島守備隊(約150名)の隊長をしていた話を聞き、そして、依光県議の曾祖父も大石隊の一員で竹富島に駐屯していて、戦後何度か竹富島を訪れたことがあり、依光県議は高齢の曽祖父に代わって竹富島にある大石隊慰霊碑に参拝したいとのことで両県議の参加となったものである。
これを知った高知県遺族会では竹富島観光を中止して慰霊祭を行うことに変更した。
竹富島では直接の戦闘はなかったが、マラリアによる戦病死者と機雷解体中の事故死、機銃掃射の流れ弾に当たった戦死者など11名の戦病死者があり、大石隊長と昵懇であった唯一のお寺である喜宝院の先代住職が慰霊碑を作ってくれ、戦後何度か慰霊祭を行っていたとのことである。

竹富島守備隊長であった故大石喬氏は今でも竹富島の島民から尊敬され続けている。
それは昭和19年の竹富島駐屯当初から終戦後離島するまで、竹富島において島民の生活改善のために様々な善政をしいたからである。
高知県遺族会からいただいた資料には、沖縄県民である大学教授の書いた資料があったが、それには、沖縄では日本軍兵士と住民が固い信頼感で結ばれた事例は少なく、大石隊は唯一の事例であると書かれている。大石隊長の人柄であろう。
私は二日目の午前中は遺族会の皆さんと一緒に半日の西表島観光をしたが、大石、依光両県議は朝から竹富島に渡り慰霊祭の準備を行い、合流した我々と一緒に慰霊祭を行った。
余談だが、前夜の石垣島での懇親会で、大食漢の大石県議が「議長、石垣島の牛は全国的に有名で、しかもこのホテルの近くにステーキハウスと焼肉屋があります、懇親会終了後同行してもらえませんか。」という、依光県議も一緒に大雨の中近くの焼肉屋に行った。
この肉が飛び切りうまく、三人ともよく食べたが、大石県議の食べっぷりは、懇親会後の二次会とは思えないほどの大食をしました。
彼の奥様から食事を控えるように言われているが、本人に反省の色はない。