大東亜戦争 神風特攻隊再考


門田隆将氏の「太平洋戦争最後の証言 第1部」を読んだ。
門田氏は高知県出身、土佐高、中央大学法学部の卒業であり、「この命、義に捧ぐ 台湾を救った陸軍中将根本博」で第19回山本七平賞を受賞している。
この本の読後感については前にこのブログに書いた。
先週高知市で門田氏の講演会があったが、残念ながら聞きに行けなかった。
この本は「零戦・特攻編」という副題がついている、二部ではニューギニアで戦った本県出身の西村幸吉氏も出てくるそうなので読もうと思っている。
この本の最後のほうに、大正十一年生まれの伊藤一義氏の証言が書かれている。
伊藤氏は東京帝大法学部から学徒出陣で第14期海軍飛行科予備学生となって、攻撃第262飛行隊の隊付き要務士となり、昭和19年の台湾沖航空戦から終戦まで知りあった搭乗員が全部で二百人。そのうち百八十五人を特攻隊員として見送った伊藤氏の回想が、私に強烈な印象を与えた。
伊藤氏が2006年に残した文章である。
「戦後六十年、平和になったこの国の中で、私は生活との戦いに明け暮れ、まあ普通の一市民として次第に年をとって来ました。しかし、あまりにも鮮烈だったこの戦いは胸から去らず、彼等戦死者を慰霊するというよりも、彼らの死の意味を考え続けるのが私の仕事になりました。そして次第に、単純な一つの結論が私の胸を充たし、その怒りをどうすることも出来ません。
 多くの人々が、多くの才能が、そのそれぞれの夢を抱きながら、国によって殺された。言うまでもなく、祖国が戦いに敗れようとする時に、若者が生命をかけて国に身を挺するのは当たり前だが、国には、その国民の死を求めるのに節度があります。特攻を命ずるなどの国の行動は、狂気の沙汰であり、国の行動としての節度を越えます。
 特攻命令にたじろぎながらも、精神の苦痛の末、自らの主体的な戦いとして、頭を高く持して飛び立った男たちの姿に感動し、それを称えることによって、特攻を日本精神の華と見たい人々の悲しい受容はわかるが、事の本質は、国家の無謀な狂気であることは変わらず、この特攻戦術は日本の歴史に残した汚点であると思います。
 それともう一つ、政治の問題は重大です。戦争も国の政治の形の一つである以上、理性を必要とします。成算がなくなった戦争の続行は責任回避そのものであり、これは政治の任を担う者として、国に対する罪であり、国民に対する罪であります。我々の友人たちのほとんどすべて、国民の何十万人という死者は、すべてこの時期の死者でありました。戦災の加速度的拡大もこの期間です。
 以上が、私が考えて辿り着いた結論です。色々の著者が色々の解釈を伝えました。しかし、私の解釈のほかに何があり得ましょう。」
この文章を読んで私は何の言葉も発し得ない。
あの戦争で死んでいった人々が、現在の日本の政治状況を見てどう思うかを考えた。