日本国及び日本人

年末年始にかけて集中して読書をする時間を取った、これまで読んで印象に残った本を再読することと、新刊を読むことの二つを同時にやった。
再読は司馬遼太郎の「翔ぶが如く」、明治国家を作った大久保利通西郷隆盛などの明治維新後の行動と考え方を検証することによって、混迷を続ける現在の政治状況を考えてみたいと思ったからである。
現在の国政を担当する政治家と政治に対する責任感、覚悟が全く違う。
そして、もう一つが戦史物、淵田美津雄・奥宮正武著「機動部隊」(学研M文庫)と「ミッドウェー」(学研M文庫)両著とも昭和26年という敗戦後早い時期に書かれており、奥宮氏は高知県出身、終戦時日本海軍中佐で航空参謀である。また、淵田氏は真珠湾攻撃の航空隊指揮官である。
両方とも2008年に文庫版として再出版されたが今は絶版となっており、通販のアマゾンでは手に入るかも知れない。
この本を読めば日本が大東亜戦争に負けた原因が良く分かる。
それは日本民族の欠点であり、明治国家の欠点でもある。その官僚主義(当時は陸海軍の軍人)の弊害は現在のキャリア官僚の行動にも見られる。
開戦当初の真珠湾攻撃で、外務官僚の怠慢によって日本の攻撃がだまし討ちになったが、このことに対して外務官僚は何の責任も問われなかった。また、攻撃側の南雲長官率いる機動部隊が第3次攻撃を行って基地の燃料タンクやドック施設などを破壊していれば米軍の反攻はもっと遅れていたと分析されているが、その点に対する南雲司令官に対する責任追及はない。
半年後の昭和十七年六月のミッドウェー海戦での大敗北、続くガダルカナルニューギニアマリアナ諸島での一連の敗北でも反省と責任追及は何もない。
日本の陸海軍は信賞必罰が全くできていなかった。
ミッドウェーからガダルカナルニューギニアにいたる昭和十七年後半からの戦いは勝てる可能性の非常に高い戦闘であった。
戦闘とは過誤の連続であり、その数が少ないほうが最後の勝利を得るという。日本は詰めを誤った。
アメリカは真珠湾の大敗北から半年間ひたすら、もともと高かった工業生産力を飛躍的にあげて反転攻勢につなげた。
日本は慢心によってこれを怠り、飛行機や艦艇などの新戦力の開発やレーダーの開発が遅れてそれが敗戦に繋がった。
責任の取り方ができていないという意味では現代の歴代内閣にも通ずる。
また、現在年金制度の崩壊や介護保険制度の崩壊がいわれているが、その責任追及もなければ処罰もない、すべてあやふやである。
米国がすべて良いとは思わないが、真珠湾攻撃の敗北の責任を問われてハワイにあった米海軍太平洋艦隊キンメル司令長官は降格されたし、海軍機動部隊でも結果が出せなければ責任者はすぐに降格させられている。
また、陸軍と海軍の協力関係のないことは、縦割り行政の弊害として現代の国や地方公共団体にもしっかりと残っている。
ミッドウェー海戦は海軍の主力空母が4隻も撃沈されるという大敗北であったにもかかわらず、陸軍には終戦近くまで知らされていなかったという。
日本はここらあたりを根本的に見直す必要があると思う。
新刊本は正月に増田俊也著「木村正彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」を読んだ、普通の単行本の倍の厚さがある大著である。
格闘技ファンならずとも終戦後の当時の時代背景がわかっておもしろい。
私は柔道の経験はあまりないが、本格的に柔道を修行した者の関節技と締め技の恐ろしさは身をもって体験しているので、柔道の技や歴史の本はよく読むし木村正彦氏のファンである。
もう二十年ほど前であろうか、締め技や関節技を中心としたソ連のサンボやブラジルのグレイシー柔術が日本に知られだした頃、柔道がそのルーツであると知っていたので実際に技を研究したことがある。
非常に緻密な技の組み立てに驚いたが、見るスポーツとしては、何をやっているのか動きが見えないのでおもしろくも何ともない。
だから、現代の柔道が立ち技中心になったことには納得する。しかし、本当に恐ろしいのは寝技であり、その中心は締め技と関節技である。
木村正彦は立ち技では大外刈りで有名だが、寝技が強かった。
柔道組織では講道館に対して、関西の大日本武徳会高専柔道があり、後者は寝技中心であり、今でも一部で旧帝国大学を中心とした国立大学リーグ戦があるという。
明治時代に駐在武官として帝国ロシアに柔道を広めた海軍軍人・広瀬武夫、ブラジルに柔道を広め永住した前田光世、戦後フランスに定住しヘーシンク生みの親となった道上伯など海外に柔道を広めていった人達の多くは講道館から離れている。
ここにも日本民族の弱点があるように私は思う。
現在の政治の混迷を考えた時、私は歴史に学ぶべきだと思っている。