マンチュリアン・リポート

4月30日は高松市で四国公共交通議員連盟役員会に出席、午前6時27分宿毛駅発の汽車で高松へ、多度津で乗り換えに失敗し11時54分高松駅着、皆さんに5分間待ってもらい高松港から海上タクシーで男木島へ、約20分で男木島着。
男木島は瀬戸内国際芸術祭2013の会場の一つ、島の漁師さんの経営する民宿で海の幸山盛りの豪華な昼食の後の役員会は、5月24日の四国公共交通議員連盟総会の議題決定、スームスに終わり、芸術祭の作品視察。
次の芸術祭の会期は7月からであるが、この日は特別に開けてもらった。

予定より30分ほど早く高松駅へ戻ったので本屋に立ち寄った。
ここで見つけたのが浅田次郎氏の「マンチュリアン・リポート」(講談社文庫・写真)
2010年9月に単行本として出版されたものが今月文庫本とされた。
内容は昭和3年(1928年)6月に満州奉天駅近くで起きた張作霖爆殺事件の解明を目指す小説であり抜群に面白い、高松から帰りの汽車で大方読み終わり、家で完読した。
張作霖爆殺については長い間、帝国陸軍関東軍の河本大作大佐をはじめとする一部勢力が起こしたと言われてきた。
最近では旧ソ連の公文書が解禁になり、その中で、コミンテルン関東軍をけしかけて実施したとする文書も発見されたようだ。
張作霖は当時、南部を支配した蔣介石と並んで満州華北を支配した馬賊上がりの軍閥首領であった。
浅田氏はこれまでにも、この時代の中国(清国)を舞台にした小説を「蒼穹の昴」(全4巻)、「珍妃暗殺」、「中原の虹」(全4巻)と立て続けに書いてきて、私は全て読んだ。
蒼穹の昴」はテレビドラマになり、私の周りの友人はDVDに残している者もいたが、私は自分のイメージと合わなかったので見るのを止めた。
「中原の虹」は張作霖を主人公とした小説で、作者の思い入れの相当強い作品である。
大学時代から馬賊好きで、小日向白郎の一代記「馬賊戦記」を何度も読み、日本馬賊の唄を愛唱していた私は喜んで読んだが、張作霖のイメージが全く変わるほど好意的に描かれている。
浅田氏は「マンチュリアン・リポート」で張作霖爆殺は、関東軍の一部ではなく、関東軍の総意であり、帝国陸軍の幹部も関与していた疑いがあると結論づけている。
そして、この事件を爆破された列車に同乗していた元日本陸軍軍人で張作霖の顧問の吉永中佐を通じで「大和魂も武士道も、これでおしまいだよ。俺たちがこのさきどんなきれいごとを言おうが、誰も信じない。俺たちは祖先から受け継いだ血の、最も大切な成分を、この皇姑屯のクロスでぶち撒けてしまった。俺たちはもう、血の通わぬ亡者になるほかはなくなったんだ。」と言わせている。
関東軍はこの事件を起こして、満州事変を誘発して満州国の独立を図ろうとしたといわれているが、張作霖の息子の張学良が軍事行動を起こさなかったことで、その目論見は失敗した。
しかし、その3年後の昭和6年(1931年)9月、関東軍参謀の石原莞爾満州事変を起こし、満州国の独立も成し遂げた。
現在から見ると中国侵略ということになる。
しかし、当時の日本国は、政治家も軍人も、ロシアの南下政策を防いで日本の独立を守るためには中国の独立が必要であると考えていた。
当時の中国はイギリス、フランスなどヨーロッパ諸国に蝕まれており、とても独立国といえる状況ではなかった。
そのために満州地方だけでも独立させてロシアの南進を防ぐというのが石原莞爾の考え方であった。
浅田氏は、この本を書くことによって、当時本当に中国の独立運動に命を捧げた多くの日本人のいたことも書きたかったのではあるまいか。
私自身は学生時代に、当時現場にいた元帝国陸軍参謀からそういう人達の存在を聞いたことがある。
この本を読んであらためて思った、張作霖をはじめこの時代の中国を引っ張った政治家は現代中国の人たちと何か違うのではないか。
少なくとも、自分の財産を海外に蓄えて、一丁事ある時には海外に逃亡しようとする人たちは少なかったろうし、「拝金主義」も今ほどひどくはなかったのではなかろうか。
もっとも、大正から昭和の初期にかけて、中国の革命騒ぎに失敗すると日本に逃げてくる中国の政治家はたくさんいた、孫文もその一人である。
また、張学良はその後、莫大な財産を持ってハワイに移住し百歳まで生きた。