デフレ脱却、高橋是清に学べ


参議院選挙の最中に麻生財務大臣が高知へ来た際の演説で、「デフレ脱却は高橋是清に学ばなければならない」と発言されたことは紹介した。
最近「高橋是清井上準之助」(文春新書)を読んだ。
著者は鈴木隆氏82歳、元日本経済新聞の記者である。昨年の3月、民主党政権下で出版されている。
内容は昭和6年から7年にかけて、犬養首相の下で、高橋是清が四度目の大蔵大臣就任に就任し(5.15事件で犬養首相が暗殺され、その後の斉藤実首相の下でも引き続いて五度目の大蔵大臣を務めた)、世界恐慌から英米に先駆けていち早く脱却できた政策を分析した本である。
この時高橋是清大蔵大臣は、お札をジャンジャン刷り、公共事業をしていして積極財政政策をとった。
著者も、なぜ政府が(野田民主党政権)がなぜその政策をやらないのかと随所で提言をしている。
同じ時期に、現職の財務官僚である松本崇氏の書いた「恐慌に立ち向かった男 高橋是清」(中公文庫、平成24年2月出版)も読んだが、こちらは高橋是清のこの時の政策をあまり詳しく紹介せず、高橋を健全財政論者と、財務官僚に都合の良いとらえ方をしており、正しい分析の仕方ではないと私は思った。
鈴木氏の本で知ったことは、デフレ下でも、財務官僚が何故お札を増刷して、公共事業を積極的に増額するという政策を取らないのかという理由が分かった。以下はこの本からの抜粋である。
「江戸時代を終わらせて、明治維新を成就した戊辰戦争、近代日本の最初の大蔵大臣ともいえる三岡八郎(由利公正)は、戦費の調達のためにお札を大量に刷った。
できたばかりの明治政府には一両のカネもなかった。三岡八郎坂本龍馬と相談して、紙に金額を刷って、全国へばら撒いた。太政官札である。
戦費は何とか手当できたが、思いもしなかったインフレが起きてしまう。戸惑っていた三岡を追い払って、後へ座ったのは大隈重信であった。
大隈もまた西郷隆盛が起こした西南戦争に勝つため、政府紙幣を刷り、国立銀行にも紙幣を大量に発行させる。
大隈も戦争には勝ったが、インフレを収拾できず、失脚する。
大隈の後は、松方正義であった。松方はインフレを収めるため、明治天皇から勅語まで頂き、徹底した引き締めを行い、後世に「松方デフレ」の名を残した。おそらく彼は、薩摩の出身でもあり「インフレを起こすぐらいなら、戦争に負けたほうがいい」と考えていたろう。
井上や若槻、浜口、彼等は日本の大学を優秀な成績で出ているから、松方デフレの話はよく知っていて、インフレの恐れのある政策など考えもしなかったろう。」
そして、昭和20年8月以降にも似たような状況はあった。
これが、現在の財務官僚のトラウマであろう。
安倍内閣は、現在の政策を続行して過剰なインフレを防ぐ政策を考えていると思う。