ミクロネシア訪問記(平成25年10月19日〜23日)その1

10月19日(土)午前7時30分高知空港集合、今回のミクロネシア訪問団は総勢87名、県議会からは森田議長、高知・ミクロネシア友好交流協会の会長であるファーマー土居県議を含めて8名の参加、県からは岩城副知事、岡崎順子文化生活部長、国際交流課・有沢課長外4名が参加、高知市からは中嶋副市長、田村総務課長の2名が参加した。

訪問の趣旨はミクロネシアとの友好交流、ミクロネシア連邦の現大統領エマニュエル・マリー・モリ氏が高知県出身者の森小弁の子孫で、高知県・市と交流しており、今年6月に高知・ミクロネシア友好交流協会が設立された記念に、民間の皆さんに呼びかけてチャーター便で訪問することとなったものである。
なお、昨年も高知県から訪問団が訪れている。
森小弁は明治2年(1869年)生まれ、明治24年(1891年)12月、22歳の時にトラック諸島の春島(現ウエノ島)に移住し、コプラを日本に輸出するなどして財を築き、その財力で現地に小学校を作ったそうである。
数年後に現地の酋長の娘イザベラと結婚して酋長になり、11人の子供をもうけた。
現在、その子孫は千人以上だそうだが正確には分からないとのことである。
昭和20年8月23日終戦の年に75歳で他界した。
モリ大統領は森小弁の曽孫である関係で、高知県を訪れているし、また、高知市の松尾前市長もチュークを訪問して友好関係をはかっている。
9:42高知空港発のユナイテッド航空のチャーター便でミクロネシア連邦のポンペイ島(旧ポナペ島)に出発、約5時間(4時間48分)の飛行時間で現地時間(マイナス2時間)午後4時45分、ポンペイ空港に到着、州政府関係者の出迎えを受けてVIPルームで一休みしてから車で20分ほどのホテルへ向かう。
ホテルはポンペイ州の州都コロニア市にある、ミクロネシア連邦の人口は約10万人であるので、日本であれば何処かの市である。
連邦はチューク州、ポンペイ州、ヤップ州、コスラエ州の四つの州からなり、チューク州の人口が約4万8千人(2010年国勢調査)で一番多い、但しこの数字もあまりあてにならないらしく、モリ大統領は4万8千人から5万8千人と言っていた。
通訳として同行してくれた、東京にあるミクロネシア連邦大使館の職員である末永氏(ご両親は日本人で移住してから彼が生まれたのでミクロネシア国籍)の話では、統計は2000年以来とってないのではないか、2〜3年前にとっているかもしれないと言っていた。ただし、選挙の際には選挙人名簿の登録をするので選挙人はおおむね把握できるという。
島の西海岸にはミクロネシア連邦の首都パリキール市があり、明日訪れる大統領官邸や、夕食会場の短大がある。

ポナペ島の名を知ったのは大学生の頃であったろうか、私の故郷宿毛市小筑紫町大海の大東亜戦争戦没者27名の中に唯一海軍少尉がいる、将校はこの方だけだ。
正しくは戦死して特進して少尉になったので、現役時代は海軍兵曹長であったそうだ。
この方の名を岡崎政市氏という。私の同級生で友人の母の前夫であった。
この時代、戦死された方の未亡人は戦死者の兄弟とか縁者と再婚する場合が多かったが、友人の母は一人っ子だったので市内の別の町から養子を迎えて友人が産まれた、その母は友人に対しては前夫である海軍少尉の話をよくしていたそうで、私も彼からその話をよく聞いた。
この海軍少尉が戦死前に乗り組んでいたのが駆逐艦「涼風」であり、友人の家には精悍な海軍少尉の遺影と駆逐艦「涼風」の写真もあった。
私はこの話を中学生の時に友人から聞かされ、ずっと気になっていた。
駆逐艦「涼風」は改白露型の4番艦で排水量1685トン、大東亜戦争開戦以来、南方方面で活躍した歴戦の駆逐艦で、最後は「昭和19年(1944年)1月24日にトラック諸島を出港、「日置丸」「興津丸」をブラウン諸島まで護衛の途中、25日ポナペ島北東で米潜水艦「スキップジャック」(USS Skipjack, SS-184)からの雷撃を受け沈没、山下艦長以下231名が戦死した。」と戦史にある。
ブラウン諸島(環礁)はトラック諸島の北東1,240kmにあり、現在はエニウェトク諸島と呼ばれている。
本艦は全員戦死なので沈没時の様子は不明、私は何度か調べたが、今回解ったことは上記の他に、「ブラウン諸島には、昭和19年1月、海上機動第1旅団が満州から進駐、本格的な防備を進め、1月上旬末までにエンチャビ、エニウェトク、メリレンの3島に配備された。」
と書いてあるので、この上陸部隊を支援する輸送船を護衛していたようだ。
駆逐艦「涼風」がポナペ島周辺で撃沈されたことを知ったのが大学生の時分であったと思う、それ以来ポナペ島の名は忘れずにいたが、まさかポナペ島まで来る機会があるとは思わなかった。
チューク空港は関空ほどではないが、本島から数百メートル離れた小さな島にあり、橋を渡ってすぐのクリフ・レインボーホテルに午後5時30分到着、二階建ての建物が幾つか並ぶ小綺麗なホテルである。

部屋は日本並み、荷物を置いて庭に出てみると現地の人たちが10人ほど集まり何やら泥のようなものを捏ねている。

見ていると飲めと勧めてくれる、これがシャカウであった。
胡椒科の木の根を叩いて水を加えて木の皮にくるんで絞ると泥水のような液体が溜まる、飲むと麻酔薬のように口がしびれる、私は二口ほどしか飲めなかったのでそれほど痺れなかったが、森田議長は何杯も飲んでいた、中根佐知議員や、岡崎順子部長も飲んでいる。
現地の方の話では、酒と違って心が落ち着くのだという。確かに、痺れて大人しくなるかもしれん。
ポナペに詳しい友好協会の岩田さんの話では、ポナペ島はムー大陸の一部で磁気の不安定なミステリースポットや、陸上から海中に延びる階段があり、海中には建築物の遺跡もあるという。ここでは解明できない事件がいくつか起きているとのことであった。
私はムー大陸の話は大変興味を持っているが、今回は残念ながら訪れる時間がなかった。

夜はポンペイ州政府主催の歓迎夕食会、場所はキュービット・バー&グリルというレストランである。
初めに歓迎式、ホテルで経験したシャカウを飲む儀式だ。
庭の隅の方にテントが設けられており、そこで現地の人4人で石でシャカウの根を突いている。
岩城副知事、森田議長、土居議員、高知市の中島副市長が来賓となり、厳かにシャカウを飲む。


この儀式が終わるとレストランのテラスに移り歓迎の挨拶、天井にやたらとヤモリがいた。
料理はバイキング方式、肉や魚、焼き飯など、取り立てて美味い料理はない。
途中でえらいスコールが来て、皆で慌てて部屋に入る。
二時間ほどで歓迎会は終わりホテルに帰った。
ホテルの部屋は上等、私の部屋はシャワーのお湯も出たし、エアコンの音も小さく、ニューギニアを予想していたので予想外の快適さだ。
但し、電波状態が悪いらしくWi-Fiが通じなくてインターネットが使えないのが難点だ。
携帯電話も通じ難いと話していた人がいたので、ミステリーゾーンがあるだけあって、この島は磁気が強いのかもしれない。

20日(日)午前9時20分ホテル発、9時50分大統領官邸を訪問、

エマニュエル・マリー・モリ大統領と面談、この面談には一族の長老である元上院議員のロジャー・茂・森氏(写真左端、中が大統領)が同席した。

この方は小弁の四男・四郎さんの長男で、茂という名前は吉田茂からとった名だそうだ。
日本・ミクロネシア友好協会の会長で、長老とはいえ59歳だ。
モリ大統領は2007年5月に就任(任期4年)、2011年5月に再任された、大統領は2期までなので今任期が最後である。
連邦議会は1院制で4年任期の議員が4名、2年任期の議員が10名で、大統領は4年任期の議員から14人の連邦議員による議員投票で選ばれる。

通常は4つの州(チューク、ヤップ、ポンペイ、コスラエ)の順番で輪番制だった、2007年は本来ならヤップ州の番であったがチューク州のモリ議員が大統領となった。
森大統領の挨拶「日本から港、空港、を始め学校など様々なインフラ整備の援助を受けて進んでおり、感謝している。
漁業分野では合弁会社が動いており(カツオ、マグロの巻き網漁のようだ)期待している。
これを農業分野に広げていきたい。
観光分野では日本からもっと安い値段で来ていただけるようにしたい。
米国からミクロネシア連邦に対する援助(2011年連邦予算の42%が米国から、25%がその他の外国からの援助金である)が2023年まではあるが、それ以降が援助を打ち切られると連邦の財政が厳しいので日本の援助を期待している。」
最後に大統領と記念撮影