吉村昭「桜田門外の変」を読んで

今回の衆議院選挙は戦後の日本の政治が大きく変わる可能性を秘めた選挙であると思っている。
安倍政権に国民の大きな信任が与えられれば憲法改正に踏み出せる、すなわち真の独立国家となりうる。
そんな時期に、選挙運動から帰って自室でテレビを付けたら、たまたま「桜田門外の変」という番組をやっていた。もうほとんど終わりかけていたから何とは無しに見ていたら、桜田門外の変の参加者が逃亡の末に捕縛される所であった。
非常に印象に残ったのでテレビ番組の最後のテロップを見たら、原作が吉村昭さんの「桜田門外の変」であった。
高知市立図書館には無く、宿毛市立図書館で単行本を見つけた。平成2年8月に新潮社から発行されており、5百ページを超える大作であった。
内容は桜田門外の変の現場総指揮者であった水戸藩士、関鉄之助の目を通して見た事件の全貌の物語であった。
桜田門外の変は、ペリー来航以来開国か攘夷かを巡って国内が二分されるなか、開国派の大老井伊直弼安政の大獄に端を発する。
安政の大獄の犠牲者は約100名、吉田松陰も何の罪もなかったが、その思想が批判され獄死を遂げた。
犠牲者を出した諸般の藩士にとっては、井伊直弼はとんでもない弾圧者であった。
水戸藩でも藩主水戸斉昭が隠退蟄居させられ、憎っくき敵であった。
安政7年(1860年)3月3日に決行された井伊直弼襲撃事件は、実行者が水戸藩士17名に薩摩藩士・有村次左衛門を加えて18名。その中で討死1名、現場で負傷の末に自刃した者が有村を始め4名、深傷による死亡が3名、自首した上死罪が7名であった。
その後、この物語の主人公関鉄之助が捕らえられて死罪になった。その時点でなお3名が逃走中で、増子金八と海後磋磯之介は明治以後も生きた。
この書によると、襲撃時の傷が元で死亡した数名と、死罪になった者の遺骸は刑場の小塚原に打ち捨てられたという。
現在の我々は酷い仕打ちをしたものだと思う。
拷問で惨殺された関係者も数名いるが、関鉄之助の妾であった「いの」はわずか23歳で、関の逃亡先を言えと責められ拷問死させられた。
関は2年間の逃亡生活の末に捕縛され、江戸で斬首となった。その6年後、事件から8年後に徳川幕府明治維新によって崩壊した。
吉村昭氏は、この事件と昭和11年2月26日に起きた陸軍将校によるクーデター2.26事件とを比較する。
桜田門外の変徳川幕府崩壊の引き金になった事件と位置付け、2.26事件も昭和20年の大東亜戦争の敗北による大日本帝国の崩壊の引き金になったと位置付ける。
私は、今回の衆議院選挙も日本国の将来にとって一大転機になる選挙ではないかと思っているので、いいタイミングでいい本に巡り会ったと思っているが、それにしても当時の武士の自刃、切腹の凄まじさ、この精神力は凄い。