平成27年 謹賀新年

皇紀2675年の新年をお祝いいたします。
今年の元旦は寒かった。
大晦日に千葉から単身で帰って来た弟と一杯やりながら生家に二人で泊まった。生家は海に面している、一晩中北西の風が吹き荒れた。元旦の昼間は一時吹雪のようになった。
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今朝は我が家の前も写真のように雪景色であった、正月に雪が降ったのは何年ぶりだろう。
今年は通常国会集団的自衛権の関連法案が審議される。答弁に立つのは中谷元防衛大臣なので安心して見守ることができると期待している。
いくつかのマスコミは、野党と一緒になって集団的自衛権閣議決定憲法違反だと騒ぎ立てる事であろう。
日本国憲法第9条は日本国において、「軍隊」ないしは「その他の戦力」を保持できるとは書いていないと解釈するのが妥当ではないかと私は考えている。
日本国憲法制定当時は、世界の平和は国連が守ると、米国は本気で考えていたのであるからそれも無理もない。
思えば、第二次大戦後、米国という国は戦争には強いが、その後の占領戦略をことごとく失敗してきた。朝鮮戦争後の韓国、ベトナム戦争後の南ベトナム中南米諸国、イラン、イラク、もうすぐ撤退を完了するアフガニスタンなどである。
唯一の成功事例?が日本の占領政策であると評価する人がいる。成功なのか失敗なのか、日本国憲法の存在が日本の政治を混乱させていることは確かである。
憲法は国の存在があってこその法律である。独立国家でなくなれば憲法の存在は形式のみとなる。
その為に、戦後日本の政権与党は米国の軍事力を背景に日本の独立をいかにして確保するか、自衛隊の存在をいかにして合憲と解釈するかに心血を注いできた。
その努力は良しとするが、米国の軍事力に頼ることがあまりにも長すぎた。
戦後70年が経ち、ソ連とその衛星国家であった東欧諸国が崩壊し、軍事的には米国の一人勝ちの時代が続いたが、ここ十数年中国が経済発展を遂げ、軍事力を急激に増大し続け米国に対抗心を燃やしている。
一昨年9月、米国のオバマ大統領はシリア内戦に当って、米国は世界の警察官ではないと公言した。その直後、ロシアはウクライナに侵攻し、中国は南シナ海東シナ海で侵略と攻勢を強めている。
そのロシアもここ数ヶ月の原油価格の下落でルーブルが激安となり、経済が急速に悪化しているようだ。中国は習近平政権がまだ安定していない。
日本を取り巻く国際政治の状況は急速に変化している。米国は今日本に対して、まずは自分の国は自分で守る姿勢を見せろといってきた。それが集団的自衛権容認の根底にある。
平成26年度の防衛白書にも「専守防衛」という言葉がある。その言葉の意味は、戦後の日本は、攻撃力は米国に頼り、最小限の自衛のための装備と人員を配置するという防衛政策を取り続けるという意味だ。それが米国の対日政策でもあった。
従って自衛隊は攻撃的な兵器は持たないことを前提としており、最近まで戦車のことを「特車」と呼び、砲兵部隊は今でも特科部隊と呼び、歩兵部隊は普通科部隊と呼ぶ。
野党の質問に対して、航空自衛隊ではF4ファントム戦闘機の空中給油装置、爆撃照準装置を外してあると国会答弁をしてきた。
実は空中給油装置は外してなかったようだし、爆撃照準装置は数年前に再装備してグアム島近くの米軍の射爆場で爆撃訓練をしたと報道があった。
これに対して野党が文句をつけたという報道を私は見ていない。国会議員が関心がないのであろう、そんなレベルだ。
海上自衛隊では2011年にはヘリ空母である「伊勢」「日向」(全長197m、満載排水量1万9千トン)が就役しているし、満載排水量2万4千トンの「出雲」も昨年進水し、もうすぐ就役する。「出雲」は全長248m、大東亜戦争ミッドウェー海戦で最後まで奮戦した日本海軍の空母「飛竜」(全長222m、満載排水量2万トン)より大きい。他国の分類では立派な航空母艦である。
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【写真は「日向」:海上自衛隊提供】
しかし、日本国憲法の下で専守防衛を基本とする我が国は、攻撃的兵器は持たないと決めているのでこれらの艦船は空母ではなく、あくまでもヘリコプター搭載駆逐艦(DDH)であると言っている。
また、「出雲」進水にあたって、この艦はヘリを搭載するのみで固定翼機(F−35B戦闘爆撃機を想定している)は搭載しないと、小野寺防衛大臣がわざわざ弁明した。
しかし、「伊勢」「日向」「出雲」もF−35B戦闘爆撃機をいつでも搭載して使用可能である。確かな筋から聞いている。
真珠湾攻撃時の航空部隊指揮官であった淵田美津雄元海軍中佐は自叙伝の中で「攻防は一体のものであり・・・古来、専守防衛で戦に勝てたためしはない」と書いた。
米軍が日本の為に戦う気が無ければ日本の独立は守れないのである。
年末にたまたまテレビをつけたら「男たちの大和」をやっていたので終わりの30分ほどを見た。
日本海軍の戦艦大和が昭和20年4月7日、沖縄に向け最後の出撃をして鹿児島県南方海域で撃沈される、その際生き残った兵士の証言をもとにして作製した映画である。
この映画は映画館でも見たし、テレビでも何度か見た、何度見ても感動する。
それで、映画の原作となった辺見じゅんさんの書いた「男たちの大和」を再度読み返している。
この海軍部隊による沖縄特攻作戦では戦艦「大和」、軽巡「矢矧」、駆逐艦「朝霜」「浜風」「磯風」「霞」が沈没し、伊藤整一第二艦隊司令長官以下6千8百余名が戦死した。
そのうち最初に犠牲になったのが、機関故障で艦隊から遅れて単独行動を取らざるを得なかった駆逐艦「朝霜」であった。
生存者はゼロで、日本側の目撃者も全くいなかったが、戦後、米軍側の戦闘記録によると、米空母バンカーヒルのSB2Cヘルダイバー急降下爆撃機10機が大和攻撃に向かう途中、「北の駆逐艦をやれ」との命令を受けて奄美大島近海を北上して「朝霜」を発見、この攻撃で「朝霜」は煙突の間、二番煙突後方、艦尾部に爆弾3発が命中して艦尾から沈没したとある。駆逐艦隊司令小滝久雄大佐以下乗員326名全員が戦死した。制空権を取れなければ負けである。
この小滝大佐は沖縄特攻作戦の要請に来た海軍司令部の草鹿参謀長に対して「連合艦隊司令部は日吉台の防空壕で何をしているのか。国の興亡を賭する沖縄大決戦を何と心得ているのか。(豊田司令長官が)みずから陣頭に立って指揮すべきだ。東郷元帥を見よ、ネルソンを見よ」と声を荒げた。と同書にある。また、映画にもその場面が出てくる。
戦艦大和に限らず、戦死した多くの兵士が、最愛の家族を思いながら国のために死んでいった。
この本の中にも生まれたばかりの子供、一度も見たことのない我が子を思いながら死んでいった兵士が何人も出てくる。
多くの先人の犠牲のもとに、いま我々は生かされていること忘れてはならないと思う。