表現の自由とメディア問題

最近発売になった月刊誌will 3月号に「総力大特集、表現の自由とメディア問題」という特集がある。
その特集の中で参考になったのは、軍事アナリスト小川和久氏の「集団的自衛権で虚言、妄言、暴言」という記事と、
産経新聞特別記者の田村秀男氏の「記事にできなかった日銀極秘データ」と言う記事である。
軍事と経済、別々のようであるが密接な関係がある事が理解できていない日本人が多すぎると思う。
小川和久氏の記事は、集団的自衛権に関するマスコミの記事がいかに的を外れているか、そして、その原因は記者のレベルの低下にある。
以下、「」の文は引用である。
「日本の安全を保つための『そもそも論』は次の2つに絞られます。1、どの国とも組まず、自前の軍事力で平和と安全を実現する武装中立。2、アメリカのような国と同盟関係を結び、協力して平和と安全を手にする道。」
2を選んだ日本としては「集団的自衛権を前提条件にせざるを得ません。同盟国として当然の責任、義務です。」そして、「アメリカとの同盟関係によって維持される日本の平和と安全は世界最高レベルであり、しかもそれが約4兆7千億円の年間防衛費プラスαで維持できている。非常に安上がりで効果的な防衛力です。仮に同じレベルの防衛力を日本単独で持とうとすると、これは防衛大学校の2人の教授を試算した結果でもあるのですが、年間20兆円〜23兆円の防衛費が必要になります。」また、日本の防衛力に対する記者の無知・無理解の例としてドイツと共に次のように書かれている。
「軍事力は構造から眺めるという世界の専門家の常識に照らしてみると、日本の軍事力は戦後再軍備の過程で、ドイツの軍事力と並んで自立不可能な構造に縛られました。これはアメリカの立場からすると当然であり、自分と対等に戦った二ヶ国に自立可能な軍事力を許すはずがありません。譬えは悪いかもしれませんが、日本とドイツは再軍備の時に外科手術で利き足を切断され、それ以降、義足をつけることを許されない状態で来ているのです。そのようなアメリカが求めた軍事力を、日本側も戦前の反省を踏まえてその要求に応えたのです。したがって、アメリカとの同盟関係において、アメリカが必要とする部分だけが世界最高レベルに突出している、それが自衛隊の姿なのです。世界トップレベルの能力としては海上自衛隊の対潜水艦戦能力と掃海能力が挙げられますが、他方で海上自衛隊空母巡洋艦原子力潜水艦も持っておらず、航空自衛隊の戦闘機も大半が防空戦闘のための要撃戦闘機で占められており、対地・対艦攻撃能力は限られています。」
私はこれまでもこのブログで、自衛隊の作戦能力について、攻撃については米軍に依存し、防御の面については専守防衛の思想の下で自衛隊がまかなっているが、それは独立国家の姿ではないと書いてきた。
しかしその状況の中でも、海上自衛隊は数年前に配備された「伊勢」「日向」そして今年から配備される「出雲」などの、普通の海軍であればヘリ空母護衛艦と言って配備している。また、航空自衛隊にあっては攻撃機の能力を持つF4ファントム戦闘機の攻撃装備を外したと主張したり、F2戦闘機の攻撃能力を自ら縛っている。
これを主導しているのが政治家か自衛隊の幹部であるのかよくわからないないが、私は愛国者として高く評価する。
安倍内閣は、今春の統一地方選挙後に集団的自衛権の関連法案を国会で審議する予定であるが、是非とも日本の独立を守るための安全保障とは何かという視点の下に議論していただきたいと思っている。
次に田村秀男氏の記事である。
田村氏が1984年3月に日本経済新聞ワシントン支局特派員に赴任した際、日米通商摩擦に加えて85年9月のニューヨーク『プラザ合意』に遭遇した際に、米国政府高官から聞いた内部情報を日本に流した際の経験談が語られている。
「ドル安が高じて暴落不安に苛まれるようになったベーカー長官側近やFRB幹部が円ドル相場など金融情勢の見解と、日銀金融緩和要求のメッセージを、筆者経由で日本に発信させる意図があったに違いない。何も知らされていない日銀首脳は筆者電を当初、全面否定しても、ほどなく米側が望む金融緩和政策に全面譲歩し、踏み切る有様だ。まぎれもなく、米国の『意向』こそが日本の金融政策の決め手だった。大蔵省も内閣も金融界も、そして日経本社ももちろん、それを是としていた。」
「91年にバブルが崩壊して以来、筆者は内心忸怩たる思いが日々強くなってくる。『ワシントン時代、米国情報に疑問を挟まず意気揚々と流しまくったことは、大変な誤りではなかったか。他の方法はなかったか』と。筆者はこうして、対米協調こそが日本の生きる道と信じて疑わない日経路線に違和感を抱くようになった」
また、「大蔵省が日銀に米国の意思を押し付けて実行させた結果、日本列島全体をバブルで覆わせ、破裂させても何ら自責の念がないのは、エリート官僚独自の傲慢な『無謬主義』に加え、対米協調がすべてと信じて疑わないからだ。
97年度の消費税増税を仕掛けた挙げ句、デフレ経済に陥れても、緊縮財政を貫いてデフレを容認した底流には、80年代後半以来の日米の金融協調がある。デフレの国内で使われないために過剰となった国民貯蓄が米金融市場に流れ、ウォール街が潤う。」
両氏の論調を通じて共通しているのは、戦後のGHQ占領政策の成果である。
経済においてもアメリカ依存が正当化されてきたのは、日本の防衛がアメリカに依存し続けていることと大きな関係があると私は考えている。
経済政策においてアメリカに逆らっても所詮アメリカに敵わないという意識が日本人にあるからであろう。
第1次安倍内閣が掲げた「戦後レジュームからの脱却」とは、そういう日本の政治体制からの脱却であったはずだ。