岡崎久彦氏の「21世紀をいかに生き抜くか」を読んで

この本は、昨年10月にお亡くなりになった外交評論家の岡崎久彦氏が平成24年(2012年)にPHP研究所から発行されている。
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同書によると、平成22年(2010年)の晩秋の頃(菅内閣時代)、自民党参議院議員佐藤正久氏と民主党参議院議員風間直樹氏が連れ立って岡崎氏のもとを訪れ、超党派で長期的に日本の外交はいかにあるべきかを勉強したい、ついてはキッシンジャーの「外交」31章を講義してほしいとの要請から始まり、それだけに囚われず、他の文献も引用しつつ講義した12回に及ぶ講義録をまとめて書き直したものだそうである。
まだ、完読していないが、折しも集団的自衛権の行使容認に基づく防衛関連法案が閣議決定され、これから国会審議が始まるので、関連する項目で印象に残った文章を紹介します。
まず、機密保護法案の国会審議、集団的自衛権閣議決定に続いて国会審議についても反対勢力の反対運動ばかりがマスコミに登場するが、この戦後数十年も続く単純パターンについて、岡崎氏はこう指摘している。
冷戦時、共産側の目標は、国際共産主義の拡大の障碍となるものを除くことにあった。日本に反軍思想、反国家思想を植え付けて、軍事ポテンシャルを除くことはもとより、最大の障碍である日米同盟関係を離間することがその政策目標であった。それが「アンポ反対」である。左翼系の教育、報道、出版関係労組が反米を鼓吹したのは当然であり、その影響は広く深く及び、それによって教育された世代は、その第二世代、第三世代を生んだ。・・・もともと、いざという場合、日本を取りやすくしておくだけの目的であるから、建設的な代案があるはずもない。ただ「憲法の平和主義はどこにいったのでしょうか?」、あるいは「日本の自主独立はどこにあるのでしょうか?」という否定的なレトリックを繰り返すだけであった。」(同書233ページ)
目新しい分析ではないが、極めて簡潔に的を得た指摘であると思う。
また、集団的自衛権についてはこう書かれてある。
憲法9条は、あまりにも非現実的な規定であるために、すでに裁判所の判決によって実質的に解決されている。
すなわち、憲法について最終解釈権を有する裁判所は、「日本国憲法はその固有の自衛権を否定するものでは無い」といって自衛隊を正当化している。固有の権利とは憲法以前から存在する自然権であり、自衛隊憲法の文言によらず、自然権に基づいて肯定したのであるから、自衛権に関する限り憲法の改正はもう行われていることとなる。・・・
日本の安全に直接関係する問題として残っているのは集団的自衛権の問題だけである。
憲法の下に批准した国連憲章がその権利を認めているにもかかわらず、権利はあるけれどもその行使は許されないという、行政府限りの珍無類な解釈を撤回すれば、それで戦後レジュームからの脱却はほぼ完成することになっている。
こういう見方を取れば、この集団的自衛権の問題の解決によって日本の戦後は終わり、そして日本にとっての悔恨の世紀であった20世紀は終わり、自信と希望に満ちた21世紀が始まることとなる。」(P253)
この文章については、自然権としての自衛権憲法以前に認められていたという裁判所の判断についてはその通りであるが、それと「自衛権に関する限り憲法の改正はもう行われていることとなる」という文章のつながりが分かりにくいのではないかと思われるので、私流に解釈します。
憲法成立時、憲法原案を作ったGHQ当局には、日本には自衛権すら認めないという考え方があり、その背景には昭和19年から続いたペリリュー島攻防戦、硫黄島攻防戦、沖縄攻防戦において、日本軍が最後の一兵まで戦い抜くという戦法とったこと、神風特別特攻隊に象徴される特攻隊の存在が大きな要因となっていると私は考えている。
それが、憲法制定国会の審議において政府は、現憲法でも自衛権の存在は認められていると解釈しております。
憲法第9条第1項は我が国の自衛権を直接否定していないが、第2項によりこれを行使する手段が物的・法的にないため、侵略に対し自衛権が行使できない」とする解釈です。
しかし、憲法学者の中にはその政府判断を認めない勢力があります。
私もそう思っていたし、岡崎久彦氏も同じ考え方であったんでしょう。
一昨年9月の、米国の世界戦略転換以前の平成23年当時に、集団的自衛権に関してこうした見識を持たれていた岡崎氏にあらためて敬意を表します。
また、 この本を読んで初めて、冷戦終了前後の日米経済摩擦の数年間に、日米軍事同盟が風前の灯火となっていたことも初めて知った。