長崎市被爆の日、ソ連参戦の日

8月9日は長崎市に原爆が落とされた日、一瞬にして7万4千人の民間人と軍人が亡くなった。
昨日、原爆死没者名簿に記載された総数は16万8767人と報道されていた。
また、ソ連が日ソ不可侵条約を一方的に破棄して日本に攻め込んだ日である。
8日の産経新聞にはソ連の非道ぶりか詳しく書かれてあったので、新しい事実ではないが何度でも国民に記憶して頂くために最後に転載する。
私があちこちで集団的自衛権と安保法制の話をしていて思った事がある。
高知県遺族会幡多支部のある地区の長に元日本共産党の市会議員をやっていた方がいる。以前から私も知っている方だ。
兄弟が2人戦死していると話していた。
当然自民党の政策にはことごとく反対する、今回の安保法制にも大反対だ。
8日の南海支隊遺族会で、私の話を聞いて頂いた会員の方から昨日激励のお電話を頂いた。
この方は会場でも質問されたし、懇親会でもお話をさせて頂いた。
高知市内の有名な会社経営者の方だ。
知り合いが2人特攻で戦死していると話されていた。
今の自民党は生ぬるい、日本国民も中国、北朝鮮の行動に対して危機感を持つべきだと熱弁をふるわれていた。
辻本さんから、ご本人は海軍兵学校最後の期だと初めて聞いた。
海兵78期か、この期は反戦思想を持った方がテレビに出ていたのを見た事がある。海兵の先輩に言わすと、この期はいろいろな考え方の者がいるとの事である。
同じような経験をしても、戦後の考え方は全く異なる。
昨日長崎市で、同じ会場で 旧社会党系の原水爆禁止日本国民会議(原水禁)と共産党系の原水爆禁止日本協議会(原水協)がそれぞれ原水爆禁止世界大会を開催したという報道を知った人が言った。「自分達の対立すら解消できない政党が世界の平和を叫ぶな」、両勢力は半世紀にわたって対立しているそうだ。以前はもっと露骨に批判合戦が行われていた。
世界の戦争の原因はこの対立にあるという見本のような団体だ。
この対立の背景には、米国の核実験は批難するがソ連の核実験については全く批判しない事があった。批判しなかったのが日本共産党である。
この当時、米国の核兵器は侵略用だが、ソ連核兵器は自衛用だと幼稚な発言をした国会議員がいたが、あの議員は社会党共産党どっちの政党に所属していたのだろうか。
両政党に似たような考え方を持った議員は多かったと推測する。
ソ連軍の侵攻に関する産経新聞平成27年8月8日の記事、
80個師団約157万人が3方向から同時侵攻した。
ソ連軍の非道さ、残虐さは他国軍と比べて際立っており、各地で虐殺や強姦、略奪など悲劇が続いた。
8月14日、満州北東部の葛根廟(元内モンゴル自治区)では、避難中の満蒙開拓団の女性・子供ら約1,200人が、戦車14両とトラック20台のソ連軍と鉢合わせした。白旗をあげたにもかかわらず、ソ連軍は機関銃掃射を行い、さらに次々と戦車でひき殺した。死者数1千人超、200人近くは小学生だった。
この惨事を第5練習飛行隊第一教育隊大虎山分屯隊の偵察機操縦士が上空から目撃した。怒りに燃えた同隊の有志11人は、総司令部の武装解除命令を拒否し、ソ連軍戦車への特攻を決行した。その1人だった少尉、谷藤徹夫は、愛機に妻、朝子を同乗させ飛び立った。谷藤の辞世の句が今も残っている。
「国破れて山河なし 生きてかひなき命なら 死して護国の鬼たらむ」
敦化(現吉林省)でも悲劇が起きた。武装解除後の8月25日から27日、パルプ工場に進駐したソ連軍が女性170人を独身寮に監禁し、強姦や暴行を続け、23人を自殺に追い込んだのだ。
麻山(元黒竜江省)では8月12日、哈達河に入植していた満蒙開拓団約1千人が、ソ連軍などに銃砲撃を受けた。逃げ場をなくした団員らは集団自決を遂げ、死者数は400人を超えた。」