《アワー:日本では機能不全でありながらも国連の人気が高いようですが、その国連は集団的自衛権を認めています。日本は自国を守る集団的自衛権は容認しつつも、一方で他国を守る集団的自衛権は容認しないのです。
田久保:ジム(アワー氏)のような日本の良き理解者には本当に感謝している。しかし、米国の中にも、「日本は弱い日本のままでよい。憲法改正はダメ」という考えの人が、主として米民主党のリベラルに多いのです。何もしないと「もっとやれ」、やりすぎると「反対」では生かさず殺さずです。これをウィーク・ジャパン派と言いますね。米共和党にはストロング・ジャパン派もいますね。》
我が国は自国の防衛に関して、常に米国の顔色を見ながら対応してきた。戦後70年経っても今だに自分の力で自分の国を守る事が出来ない。
《田久保:リチャードニクソン元大統領は副大統領時代の1953年、「1946年の日本国憲法は間違いだった」と演説で述べた。ああいう考えが米国から出てくると、日米関係も不均衡な関係が少し変わってきて、より正常化してくると思うのです。》
《アワー氏:2001年4月に小泉首相は次のようなことを言った。「もし、日本海に日米の艦艇がいて、日本の艦艇が北朝鮮のミサイル攻撃を受けたら、米艦艇はすぐに日本艦艇を守るだろう。しかし、もし米艦艇だけが攻撃されたら、日本艦艇は米艦艇を守ることはできない。これは理解に苦しむことで、我々が研究すべきことだ」。その後、岡崎久彦氏が首相官邸で小泉首相に「あなたは正しいことを言った。憲法9条の解釈を変更すべきだ」と語った。
しかし、その時の内閣法制局長官が来て、何も議論せずに次のように述べました。「もし、憲法解釈を変更したら、私の前任者達の不名誉になります」と。しかし、もし前任者達が間違った、危険な判断をしていたとしても、日本政府の(解釈変更の)目的は前任者達を辱めることではないのは明らかです。》
この当時、北朝鮮が日本海に向けてミサイルを打ち込む事が続き、相当緊迫した状況が続いていた。
当時宿毛湾港に停泊中の米海軍イージス艦が突然出航した事があり、その数日後に北朝鮮が日本海にミサイルを撃ち込んだ。後日米海軍関係者に聞いたらイージス艦は単独でそういう事態に対処する能力があるという事であった。
その後の宮崎氏は日本に対する攻撃があった時以外に攻撃する事は違憲だとの立場だと報道されている。
国の存続よりも憲法解釈を優先する考え方のようだ。
高村正彦自民党副総裁は安保法制の論議の中で「憲法は、 国民を主権者としている。 憲法とは、国民が、自らの生存を預けるために、為政者と結ぶ基本契約である。それが立憲主義である。ならば、国民の生存を傷つけるような憲法解釈があってはならない。」という事を前提として、昭和34年12月の砂川判決についてこう述べている。
「最高裁は憲法第9条第2項に関し、『我が国が主権国として持つ固有の自衛権はなんら否定されたものではなく、我が憲法の平和主義は決して無防備、無抵抗を定めたものではないのである。(中略)我が国が、自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能として当然のことと言わなければならない』と判示したのです。」「必要な自衛の措置のうち、個別的自衛権、集団的自衛権の区別をしておりません。ここが大きなポイントであります。個別的自衛権の行使は認められるが、集団的自衛権の行使は認められないなどということは言っていないわけであります。
当時の最高裁判事は、集団的自衛権という概念が念頭になかったと主張する方もいます。しかし、判決の中で、国連憲章は個別的自衛権と集団的自衛権を各国に与えていると明確に述べていますので、この主張ははっきり誤りであります。」
私は、この高村副総裁の考え方が自民党の統一見解だと思っている。全面的に同感です。
この考え方に、集団的自衛権行使の際の「武力行使の新3要件」を加えると、ホルムズ海峡の機雷掃海は、我が国の原油輸入の80%以上がホルムズ海峡を通る現状を考えると、元内閣法制局長官の考え方が正しいとは思われない。
憲法解釈が国際情勢の変化にともなって変遷してきたことは彼らも認めている。
現在は田久保氏が指摘する次の事まで議論する必要があるのではないか。