戦没者の遺骨帰還式に参列

23日(木)午前中5時30分から千鳥ヶ淵戦没者墓苑で、東部ニューギニアで戦死された戦没者のご遺骨の引渡式があり参列した。

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今回引き渡されたご遺骨は、昨年3月に成立した「戦没者の遺骨収集の推進に関する法律」に基づき、厚生労働大臣の指定を受けた日本戦没者遺骨収集推進協会が派遣した「東部ニューギニア戦没者遺骨収集団」が持ち帰ったご遺骨だ。

遺骨収集団は、本年2月8日から21日までパプアニューギニアのオロ州、モロベ州、東セピック州において収容活動を行い、同地において今年度収容され現地に仮安置されていたご遺骨112柱と共に帰還した。

式典にはあいにくの雨の中、多くのご遺族と共に与野党を問わず国会議員も参列した。

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東部ニューギニアの戦いは、高知県で編成された日本陸軍歩兵第144連隊を基幹部隊として、広島県福山市の歩兵第41連隊、大阪で編成された独立工兵第15連隊などからなる南海支隊が、昭和17年3月からポートモレスビー攻略作戦を行った事に始まる。

当作戦は昭和18年1月、ニューギニア東北部のブナ、ギルワで南海支隊が壊滅した事によりほぼ終了した。

このブログで何度か書いたが、私も南海支隊戦友遺族会の特別会員として、ご遺族の皆様と共に2度この地へ慰霊巡拝に訪れた。

オロ州はポートモレスビー攻略作戦が行われた地で、ここからのご遺骨の帰還は74年ぶりになるであろう。

ご遺骨の収められた白木の箱が収集団の手で入場された時には目頭が熱くなった。

式典はご遺族の献花から始まり、私も献花をさせて頂いた。

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最後に遺骨収集団団長・栗田和彦氏の帰還報告があり、その中には「現地の険しい地域に年間を通じて入り、粛々とご遺骨の収容に努められた日本遺族会、東部ニューギニア戦友・遺族会派遣者の陰ながらの支えがあったことに敬意を表し、この場を借りて感謝を申し上げ、帰還報告とします。」との言葉があった。

この日出席した収集団はご遺族と共に若い団員が二人いた、たぶんJYMA日本青年遺骨収集団の方だと思う。

歩兵第144連隊に所属していた高知県出身の西村幸吉さんは、戦後60歳を過ぎてから全てを投げ打って、亡き戦友との約束を果たすため東部ニューギニアに移住して二十数年間にわたりご遺骨の収容を行った。

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(写真右が西村さん)

その活動はオーストラリア人のチャールズ・パペル氏によって「ココダの約束」(訳:丸谷元人)という本になり、多くの人に感銘を与えた。私も感銘を受けた一人だ。

また、高知新聞の福田仁記者によって「祖父達の戦争」という題の長期連載が高知新聞に掲載され、大きな反響を呼び単行本としても出版された。

その西村幸吉さんも一昨年お亡くなりになった。

南海支隊戦友遺族会の皆さんは、西村幸吉さんの意思を継いでこれからも慰霊巡拝やご遺骨の収容を続けるだろうし、私も参加するつもりだ。