敗戦記念日に思う

参議院議員になってからも、15日は高知市高知県護国神社に参拝していたが、今年は台風10号が直撃するので参拝を取り止めた。

昨夜、台風の進路を確認する為に時々テレビを見ていたが、15日午前0時40分からNHKで「戦没者は二度死ぬ」という番組が始まったので最後まで見た。この番組は何度か再放送されている。

テニアン島の戦いで家族と共に集団自決をして、偶々生き残った伊藤久夫さん(84歳、福島県在住)の話であった。

今朝の産経新聞1面にも伊藤さんが取り上げられていた。

産経新聞の記事によると、伊藤さん一家は昭和10年2月に製糖の国策会社である南洋興発(株)の社員としてテニアン島に移住した。その時生後100日の伊藤久夫さんも一緒であった。

テレビ番組では、伊藤さんは戦後何度もご遺骨の収容にテニアン島を訪れており、今年は自分が集団自決した洞窟を訪れて、子供のご遺骨も含めて収容する様子が語られていた。

伊藤さんの話では、この洞窟には3家族いたが、それぞれの家族が軍から自決用に渡されていた手榴弾で自決した。それでも死にきれなかった人がいて、半狂乱になった自分の母親がどこからか斧のような物を探してきて、父親が生き残った人々を撲殺した。

自分も頭を殴られて気絶し、妹2人は死んだが自分の両親も含めて3人は生き延びて米軍に保護されたという。

悲惨な話である。

テニアン島の戦い昭和19年1944年7月24日から8月1日までの9日間の戦いであった。

日本軍守備隊は海軍4110名、陸軍4000名で、その他に南洋興発の社員をはじめ約15,700人の民間人がいたようだ。

陸軍の緒方守備隊長は、民間人の中で3500名の義勇隊を編成したと大本営に連絡しているという。

米軍の戦死者は389名、戦傷者は1856 名とある。

日本人犠牲者の数は未だ確定されていない。8010名の戦死者という記録があるが、民間人の犠牲者数は確定されていない。

戦後約2300名の民間人が日本に帰国しているという記録があるので、約13000名が犠牲になったのであろうか。

先日の自民党戦没者遺骨帰還特命委員会の会合で、会長である尾辻参議院議員テニアン島に初めてご遺骨の収容に行った時に、海岸には沢山のご遺骨が放置されたままであった、という話をこのブログに書いた。

テニアン島にはまだ沢山のご遺骨が収容されずに残されているという。

私は自民党の会で、私が特別会員になっているニューギニアポートモレスビー攻略作戦の主力部隊である南海支隊戦友遺族会の活動を通して、米軍とオーストラリア軍にはご遺骨の収容に当たる専門部隊がある。日本には軍隊がないので厚生労働省の援護局がその任に当たっているが、ここは遺族の生活支援をする部署である。

自衛隊が米・豪の専門部隊と連絡調整をすべきだと発言した。自衛隊にもご遺骨の収容を専門にする部署を作る必要があると考えている。

大東亜戦争では約310万人の日本人がお亡くなりになり、そのうち海外での戦没者は約240万人、そのうち約112万人のご遺骨が帰国できていない。

収容可能な地域のご遺骨は全て帰還させるべきである。

国の命令で祖国防衛戦の犠牲になった日本人のご遺骨を、祖国に帰還させることは日本国の義務であると思う。