台湾2日目

28日(水)は午前9時01分の新幹線で南部の嘉義へ移動、所要時間約2時間、嘉義駅から貸切バスで八田輿一の造った烏頭山ダムへ向かった。

足立敏之議員作成の資料や現地で頂いたパンフレットによると、

八田與一明治19年(1886年)2月、石川県に生まれ東京帝国大学土木工学科を卒業し、台湾総督府内務局土木課に就職し、1910年に大学を卒業し56歳で亡くなるまで台湾に大きな貢献を果たし、台湾の水利建設に人生を捧げた。

台北下水道の建設、高雄港の建設、日月潭水力発電所、桃園大圳(だいしゅう)、嘉南大圳の工事の烏頭山ダムの建設など、日本統治時代の台湾における重要な現代土木水利工程に参画している。

とりわけ烏山頭ダムは、この周辺地域約15万ヘクタール(ほぼ新潟県の面積であるという)を灌漑し、台湾農業の振興に大きく貢献した。

この実績が評価され、昭和17年5月にフィリピンのルソン島で綿花栽培の水利事業を計画するよう陸軍から委嘱を受けた。総督府勤務の3名の部下と共に軍属としてフィリピンへ派遣される途中、長崎県沖で貨物船大洋丸が米国潜水艦に撃沈されて死亡した。

なお、そのご遺体は数日後に山口県へ流れ着き、衣服で八田與一と確認され、その御遺骨の一部が後で紹介するお墓に埋葬されている。

現在でも台湾の中学生向け教科書に八田洋一の業績は詳しく紹介されている。平成21年に烏山頭ダムを土木学会の海外最初の土木遺産として認定された。

八田與一氏は技術者として抜群に優れていたばかりでなく、人間としても優れていた。肩書や人種、民族の違いによって差別しなかったために永遠に台湾の人民から慕われる。

初めに再現された八田與一の住宅へ案内された。

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下の写真は執務室で、額は烏頭山ダムを建設中の写真、日本のダムのイメージと違って、大きなため池という感じだ。
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庭には外代樹夫人と子供の像がある。

夫人は終戦後の昭和20年9月に8人の子供達を残して、烏山頭ダムに身を投げて自殺した。痛ましい出来事である。
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復元された官舎のそばには八田路と名付けられた道路がある。(下の写真)

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下の写真は、当時建設された発電所だが、我々の為に特別に放水してくれた。
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下の写真の発電施設は今でも使える。
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ダムのそばに、八田與一の像とご夫妻のお墓がある。
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私の左隣りで説明してくれたのが記念館の所長さん。
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下の写真がダム湖の全景、

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午後2時30分に台南市役所へ、黄偉哲市長を表敬訪問、台湾の人口は2,354万人、台南市の人口は約189万人、大都市である。

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下の2枚の写真は台南市の市街地

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下の写真は泊まったホテルの前にあった龍の像、マーライオンのように水を吐くそうだ。

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その後、台南市内にある、海軍戦闘機零戦パイロットを祭った飛虎将軍廟を訪問してお参りした。

ここは昨年も書いたが、昭和19年(1944年)、台湾に配属されていた日本海軍の杉浦茂峰兵曹長(戦死後に少尉昇進)は零式艦上戦闘機三二型に搭乗して台湾沖航空戦に出撃。10月12日午前、台南上空で米軍機を迎え撃つも撃墜され、落下傘降下中に機銃掃射を受けて戦死した。

終戦後、村のあちこちで不思議な夢を見たという噂が広まった。白い帽子と服を着た日本の若い海軍軍人が枕元に立っているという夢を見たという者が、皆に話したところ、同じ夢を見たという者が数人名乗りでた。その後、その海軍軍人が杉浦であり、集落への墜落を避けるため被弾した乗機を操縦して郊外まで飛び、そのために脱出が遅れて戦死したことが判明。自分の生命を犠牲にして村人を救った杉浦を祀るため1971年、落下地点に廟を建設した。とパンフレットに書いてある。

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この日は、その後バスで約一時間、高雄市へ移動してホテルへ着いた。