県知事選挙の結果報道に反論

昨日の高知県知事選挙で浜田せいじ氏の勝利について、高知新聞の池一宏報道部長の「遠のく県民自治」と題する署名記事に反論する。

私は平成11年4月から平成27年3月まで県議会議員として県政に関わった。

県議になった当初は橋本大二郎知事であった。

橋本知事はパフォーマンスが得意で、全国のマスコミから注目される行動を中心にしていたので、高知県を全国にアピールする機会にはなったろう。しかし、県民の生活が豊かになる事はなかった。

むしろ、中央省庁と対立した事により県の補助事業予算等を削られ、私は県庁職員の要請を受けて山本有二中谷元両代議士にお願いして予算の復活獲得に何度も動いた経験がある。

県民所得をはじめ様々な全国指標はビリか、ビリから2番手、県民もそれに慣れていた。

尾崎正直知事が誕生してから中央省庁との関係は劇的に良くなった。

また、尾崎知事の人脈で、新しい補助事業が表に出る前にその情報を掴み、高知県に有利な条項を付け加える仕事をした事も知っている。

何よりも、尾崎知事は県庁職員と激烈な政策議論を重ねて高知県産業振興計画を完成させ、それを実行に移す過程で高知県民の、仕事に対するやる気に火を付けた事が最大の功績だと思っている。

その成果が有効求人倍率1.31倍(今年9月)という事実であり、県民所得が尾崎知事就任当時の平成20年度が219万2千円で、全国最下位に近い順位であったものが、先月発表された8年後の平成28年度の県民所得は256万7千円、全国37位であり【訂正:私がインターネットで調べた資料の順位は暫定値であったようで、正確には11月29日に発表された順位は37位であった】、この県民所得の伸び率は全国トップクラスである。

【訂正:愛媛県は全国第33位となっており、愛媛県に関する記述は削除した。】

また、有効求人倍率は統計を取り始めた昭和38年から昭和61年の後半まで、高知県は0.1倍から0.2倍台であった。県内で仕事につきたくても、希望する人の10人に2人分の仕事しかなかった。県人口が減少し続けたのも当然だ。

この数字について、3〜4年前に、日銀高知支店の支店長として来ていた、室戸市出身の大谷氏と話した事がある。

「当時は、職安を通さない縁故採用も多かったろうし、農林水産業などの自営業者も多かった、しかしそれにしてもこの数字は異常だ」という話で2人の意見は一致した。

全国の有効求人倍率が1.0を超えても、高知県はせいぜい0.5程度であった。

私は、昭和63年に18年間暮らした東京から、家族4人で帰って来て父親の魚の養殖業を継いだ。

その時に地元で魚の養殖業をやっていた叔父に、高知県の景気はどうですかと聞いたら、最悪だとの答えが返ってきた。それで私は帰る決心をした。

平成27年に有効求人倍率が戦後初めて0.7倍を超えた時は、尾崎知事と「よくここまで来たね」と話した事を覚えている。

私は選挙の応援演説で県民所得と有効求人倍率の向上の成果を話してきた。

高知県産業振興計画を実施していく過程で、私の後援会メンバーと尾崎知事が話した時の事だ、自営業者が「県は我々に何をしてくれるんですか」と聞いた、尾崎知事は「県が何をしてくれるかではなくて、あなたが何をしたくて、県に何を求めるかだ」と激しい口調で答えた。

尾崎知事はあちこちで、県民とこういう議論を重ねて来た。

それは尾崎知事が最初に選挙に挑んだ後に、私にこう言った事が原点にある。

「私はなんとか高知県に恩返しをしたいと思い、財務省時代から東京で仲間を募って、高知県の振興策を考えて来ました。しかし、知事選挙で1ヶ月県内を回って県民の意見を聞いていくうちに、霞ヶ関で机上で、高知県の為になると思って私が考えていた様々な事業は、高知県の実情に合っていない事に気付きました。これからは、県民に考えて頂き、それを県や国が応援していくシステムに変えなければなりません。」これが「対話と実行」のスローガンのもと県内各地で対話集会を開いて来た尾崎知事の原点でしょう。

これらを続けるうちに高知県民の意識は大きく変わりました、自ら新しい事業に挑戦する県民が増えた。その結果が県民所得の向上だ。

これこそが住民自治だと私は考えている。

浜田せいじ新知事には、これをパワーアップして継続してもらいたいと熱望している。それが出来る知事であると思う。