「李登輝秘録」河崎眞澄 著

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産経新聞論説委員の河崎眞澄氏が産経新聞に連載されていた記事が、上記の本になったとの連絡をいただき、注文していたら、李登輝先生が亡くなられた日の朝、議員会館事務所に届いた。

先ほど読み終えた。

李登輝先生の生い立ちから最近の活躍までを知り、改めて偉大な政治家であったと思う。

私が台湾を訪問して、李登輝先生にお会いしてお話を聞いたのは、2019年7月19日であった。

先日も書いたが、「日本李登輝友の会」の柚原正敬事務局長と金田秀昭さんのお骨折りで実現した。

台北近くの別荘へ着いた時に、日本人の秘書である早川友久さんから、当初1時間であった面会時間が「今日はちょっと体調がすぐれないんで短くなるかもわかりません」との事であったが、李登輝先生は話し出すと熱弁が止まらず、延々1時間30分にわたって、日本と台湾に対する熱い思いを語られた事を思い出しながら読んだ。

以下に特に印象に残った箇所を記す。

【「22歳まで日本人だったんだ。ここまでね。」台湾の元総統、李登輝は満面の笑みを浮かべながら、右の手のひらを水平にして、首まで持ち上げて日本語でこう話した。

 李は数世代前の祖先が中国大陸から台湾に渡ってきており「日本人と血のつながり」があるわけではない。それでも「私たちの世代の台湾人は純粋な日本精神がある」と言ってはばからないのは、もっぱら「教育」を指してのことだ。

 李は「明治政府は台湾の経営をまず、教育から始めた。これは歴史的に見て欧米列強(の植民地)では例のないこと」と評した。】

また、日本との関係で特に印象に残った記述は、1999年9月21日、台湾中部で大地震が起きた。
その時にいち早く駆けつけた、日本政府派遣の145人の国際緊急援助隊の活動に、台湾の国民が感動した話であった。
【(日本の援助隊は)黙々と生存者の捜索を続け、遺体を発見するたびに敬礼し、黙祷を捧げ、家族に「救命できずに申し訳ない」とわびた日本の援助隊の姿が連日、テレビに映し出された。台湾では見慣れなかった光景だといい「あの時台湾と日本の関係がぐっと近づいた」と李(登輝)は話す。】

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