中央アジア訪問紀その2

今回訪問したカザフスタンウズベキスタンも、西欧諸国のマスコミの報道を見る限りにおいて、国会があり、民主主義の形態をとってはいるが、大統領の権限が強く、西欧諸国の民主主義とは相当異なると見られています。

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ウズベキスタンのカミーロフ外相もそれは認識しているようで、私との意見交換の中で、(国境を接する)アフガニスタンタリバーンが政権を担当することになると思うが、タリバーンは西洋型の民主主義とは異なる政治体制になるであろう。

西欧型の民主主義体制は、リビアやエジプトなどのアラブ諸国で起った「アラブの春」運動や、米軍撤退後のイラクなどを始め、必ずしもいい結果が出ていない。という趣旨の意見を述べられた。

私は個人的にカミーロフ外相と同様な見解を持っています。

イラクもそうだが、アフガニスタンも米国が西欧型民主主義を根付かせようと20年間努力を続けてきた。しかし、それが失敗に終わった。

アラブ諸国では、その失敗により今でも内戦が続いている国があり、多くの難民が出ている現状があります。

私はカミーロフ外相に対して、日本は1945年8月の第二次世界大戦の敗戦によって西欧型民主主義を取り入れざるを得なかったと世界からみられていると思うが、

しかし日本には1400年前、聖徳太子という政治家がおり、17条の憲法を作った。その憲法には「和をもって尊しとなす」と言う言葉が書かれている。

これは政策決定にあたっては議論を尽くし、そしてその上で決まった事はみんなで力を合わせよう、という考え方である。まさに日本型民主主義の芽生えである。

この考え方が基本にあるので、日本は1868年の明治維新でも、1945年の第二次大戦敗戦時でも西欧型民主主義を受け入れることができたと思っている。との趣旨の話をしました。

カミーロフ外相はこの話に興味を持ったらしく聖徳太子とは誰だと聞き返してきました。

アフガニスタンは人口3,890万人、パシュツゥン人、タジク人、ハザラ人、ウズベク人等から構成される他民族国家で、イスラム国家です。

その中でパシュツゥン人が最も多く人口の45%を占めている。タリバーンはパシュツゥン人が作った組織です。

パシュツゥン人はパキスタンにも住んでおり、パキスタン人口の11%を占めている。

中東地域からこの地域にかけての国境線は、第二次大戦後に西欧諸国が引いたもので、遊牧民の多い多民族国家で、彼らにとって国境線はあまり意味がない。

8月15日のタリバーンによるアフガニスタン制圧後の、日本のマスコミ報道などを見ても、アフガニスタン民主化に関わってきた日本人専門家の話では、アフガニスタンは20年間に及ぶアメリカの統治下においても、首都カブールやカンダハールなどの大都市は別にして、地方ではタリバン勢力による支配があったと話していた。

タリバーンはケシ栽培→麻薬、アヘンで豊富な資金を持っている。その資金をもとに武器も豊富で、強い武装勢力であろう。

それに加えて、この地域の部族勢力の中で、統治に真面目に取り組んで来た結果がタリバーンに対するアフガニスタン国民の支持があるのではないかと私は考えています。

その専門家の話では、女性の権利獲得、自由主義民主主義を経験したアフガニスタン国民はその継続を希望しているので、日本もその支援をしてほしい。

また、米国の支援で政権を担当した者は腐敗していた。とも話していました。

今後タリバーンがどういう政権を作るかはわからない。しかし日本にいる我々が享受している自由主義、民主主義とは異なるものになるであろうと考えています。

西欧型民主主義が世界中に通用するものでない事は、現在の世界各国の政治体制の現状を見れば解る。

私はこの地域の平和と安定を望むものです。その為に日本は関係諸国と情報交換をしながら取り組んでいくのが最良だと考えています。