堀越二郎「零戦 その誕生と栄光の記録」を読んだ。

7月3日、堀越二郎氏の書かれた「零戦 その誕生と栄光の記録」を読んだ。

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この本は昭和45年(1970年)3月にカッパブックス(光文社)から出たのが最初であり、角川文庫では平成24年(2012年)12月25日に初版が発行されている。昔読んだ記憶があるが、忘れていた。

堀越二郎氏は零戦を作った設計者の中心人物です。

零式(レイシキ)艦上戦闘機、戦後の通称「ゼロ戦」は大東亜戦争開戦の前年、昭和15年7月末に日本海軍に正式採用され、日中戦争最中の中国戦線に送られて、大戦果を挙げた。

当時の、米国のカーチスP40、グラマンF4Fワイルドキャット戦闘機や、イギリスのホーカーハリケーンスピットファイア戦闘機、ドイツのメッサーシュミットBf109戦闘機と比べても飛び抜けた性能を持っていた。

それ以来、昭和18年9月、グラマンF6Fヘルキャット戦闘機が出てくるまで、向かうところ敵なしの活躍をし、終戦までに、三菱重工中島飛行機で1万425機が作られた、世界的な名機である。

ちなみに、私は米国チノ市の航空博物館で、零戦とF6F戦闘機を同時に見ましたが、零戦の倍の2千馬力のエンジンを積むF6F戦闘機は、胴体の大きさが倍ほどに思えました。

こんな頑丈な戦闘機には敵わんなとも思いました。

私は何度零戦のプラモデルを作ったことか。

日本や米国で何度も本物も見ました。実に美しい戦闘機です。

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(上の写真はSNSから拝借しました。)

堀越二郎氏は、この本の終章で、零戦に対する評価として、日本人技術者とイギリス人技術者との2人の見方を紹介している。初めに日本人技術者の見方です。

「私の後輩の航空技術者である内藤一郎氏は、月刊誌「丸」(昭和38年6月号)の中で、つぎのように簡潔に、しかも余すところなく語ってくれている。『零戦が優れた飛行機であることを肯定しながらも、強度不足だ、突っ込みがきかない、防弾がない、高々度性能が不足だのと、いろいろの批評を耳にすることがある。

 その多くは一知半解の妄言に過ぎない。またよしそうであったところで、考えてみられたい。わずか一千馬力そこそこのエンジンをつけた飛行機で、この零戦の半分も有能な戦闘機が昔も今も世界のどこに実在したか… . 。』」

当時の日本の技術では、非力な航空機エンジンしか造れなかったのです。

現代の航空自衛隊の次期戦闘機のエンジンは、日本のIHI社が非常に優秀な国産エンジンを造っています。

英国のロールスロイス社が感嘆するくらいです。

次にイギリス人技術者の見方である。

「例えば、イギリス最大の航空機会社ホーカー社の計画設計主任J・W・フォザード氏はイギリス航空学会誌1958年11月号の中で、

『ヨーロッパ人は、日本人が模倣に終始したように思いたがるが、日本の代表的飛行機である零戦の詳細を知れば、それが誤りであることをさとるであろう。

 その例として、くりかえし変動負荷の組み合わせに対する主桁の寿命の研究や、フラッタ、風洞模型の力学的相似性の認識が、当時すでに日本ではじめられていたことを挙げることができる。

 なかでも、われわれヨーロッパの水準から見て、もっとも驚嘆にあたいする工学上の構想・手法は、操縦系統の剛性を計画的に引き下げる考えであろう。この独創的構想によって、低速時の昇降舵の効きをそこなわずに、高速時の操縦桿の動きを適当に増し、難しい操縦感覚の問題を見事に解決している。』と、誉めてくれた。」

この話の後段の、操縦系統の工夫は堀越二郎氏の独創である事が本文に書いてあります。

日本の零戦は素晴らしい性能を持っていたのです。