「満州裏史」太田尚樹 著を再読

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10年振りに太田尚樹氏の書かれた「満州裏史」を読んだ。

満州国に理想を実現しようとした甘粕正彦と、官僚として満州国の産業を起こし、世界一級の産業国とした岸信介の二人を通して、日本が何故満州国を作ったかを分析した本です。

この本によると、甘粕は上司であった東條英機を尊敬しており、石原莞爾とはそりが合わなかったようだ。

甘粕は大杉栄伊藤野枝、伊藤の6歳の甥を殺した罪で3年間服役したが、裁判記録の殺害方法に関する甘粕証言と、戦後の昭和51年(1976年)、大杉ら3人の遺体を司法解剖した、田中隆一軍医大尉が書き残していた死亡鑑定書が、田中の未亡人宅で発見されたが、その死亡鑑定書とは全く違っている。

甘粕証言は、二人を絞殺したとされるが、小柄な甘粕が、大柄で柔道の強かった大杉栄を絞殺出来るのかという疑問が以前からあり、太田氏もそう書いている。

また、甥の少年の殺害は後から知らされたようだ。

その後発見された死亡鑑定書では、大杉の肋骨はほとんど折れており、伊藤野枝も肋骨骨折を含めて相当な暴行を受けたことが明らかになっている。

甘粕以外の憲兵隊によるリンチ殺人であった。

甘粕は憲兵大尉として、陸軍の組織ぐるみの犯行を、身代わりとして獄についたようだ。

当時の日本は、ロシアの南下政策に対抗するために、緩衝地帯として、朝鮮、中国に国力をつけて欲しかった。しかし、それが出来ない国家であった為に満州国を造った。

それは、この本で紹介されている石原莞爾の以下の発言でも明らかです。

「内乱の絶えないシナ本土を見ていると、彼らに近代的国家を建設する能力がないのは明らかです。ところが、満州にいる漢民族が、本土にいる人間たちよりも安定した生活が送れているのは、日本軍によって秩序が維持されているからであります。したがって、満州の彼らは、日本の支配下に入った方が、安定した生活が約束されることなるのです」

しかし、中国と朝鮮にとっては余計なお世話で、反日感情反日行動が起きたのも無理はない。

私は、満州国に関しては日本陸軍関東軍の参謀であった石原莞爾氏の本や、最後の総裁と言われている古海忠之氏の「忘れえぬ満州国」など多くの本を読んでいる。

このお二人は満州国に5族協和の理想を実現しようとしていた事がよく分かった。

しかし、中国、朝鮮、モンゴルなどの人々を蔑視し、5族協和の精神を踏み躙ったのも日本の軍人、官僚達であった。

なお、古海忠之氏は戦後も18年間中国に抑留され、帰国後「忘れ得ぬ満州国」を書いた。