バイデン米国大統領のウクライナ電撃訪問

21日午後7時のNHKニュースによると、米国はこれまでウクライナへ日本円で約3兆4千億円の軍事支援を行った(私は約4兆円と聞いたのだが)との報道でした。

米国は第二次世界大戦において、1941年(昭和16年)12月大東亜戦争が始まる以前にも、イギリスとソ連に対して武器貸与法に基づき莫大な軍事支援を行なっており、この支援がなければ、イギリスもソ連ナチスドイツに負けていた可能性があった。

フランスは、イギリスがナチスドイツに負けるであろうと判断して、1940年(昭和15年)6月早々とナチスドイツと休戦協定を結び降伏した。

また、ソ連も同じ判断で、1941年(昭和16年)6月のドイツのソ連侵攻まで日和見を決め込み、イギリスに対する支援はしなかった。

米国からイギリスへ軍事物資を運ぶ輸送船は相当数が、ナチスドイツの潜水艦Uボートに撃沈されたが、それでも輸送を継続した。

また、ソ連への軍事物資の支援は、北極海ルート、中東ルート、極東ルートの3つのルートを使って行われた。

イギリス、ソ連への軍事支援は、日本との大東亜戦争が始まってからも継続された。

しかも米国は、中国の蒋介石の国民党軍へも莫大な支援を行なった。

今のウクライナに対する、米国を始めとするNATO諸国の軍事支援の比ではない。

しかも、チャーチルの著者「第二次世界大戦」によると、「1942年(昭和17年)秋には、アメリカの航空母艦はわずか3隻だけが海上に浮いていた。それが1年後には50隻になり、終戦時にはそれが100隻を越していた。そしてこの成功は、これまた驚くべき航空機生産の増加と並行して達成されたのであった。」

この当時から米国の工業力はとてつもなく凄い。

こんな国を相手に、日本は昭和18年(1943年度)後半までは画角に戦った。