最後のブログです!

今回のブログで、平成18年(2006年)の高知県議会議員の時より参議院議員の6年間、議員退職後の2年間を含めて、18年間に渡り書いてきました中西哲のブログを終了いたします。

長い間ご拝読いただきまして有難うございました。心よりお礼申し上げます。

7月17日(水)は、お昼に、私が外務大臣政務官当時の秘書官であった小島さんと昼飯を食べながら近況報告。

彼女は子育て奮闘中で、今年4月に育児休暇から外務省職員へ復帰したばかりです。

次に地元浜松市から上京したばかりの積極財政議連顧問である城内実衆議院議員を訪問して、議連の今後の活動等、そして自民党の今後について意見交換をしました。

安倍晋三元総理の思いを後継出来るのは城内実議員であると私は考えております。

続いて高知県選出の尾﨑正直衆議院議員に諸々のお願いなどをして来ました。

夜は、私が学生時代に活動していた日本学生同盟の同志達との懇親会、2〜3ヶ月ごとにやっておりますが、この日は7名が集まりました。

話は自民党の今後について、私の後輩ではありますが、マスコミ界で「選挙の神様」と呼ばれている元自民党本部事務局長・久米晃さんから自民党総裁選挙、その後実施されるであろう衆議院選挙の話などを伺いましたが、詳しい内容については書きません。

清和研の幹部による「裏金事件」により、自民党に対してかつてないほどの逆風が吹いており、これがいつまで続くのか?

状況は極めて厳しいとしか言えません。

このほか、ウクライナ戦争の話もありました。

ウクライナのゼレンスキー大統領に対して厳しい意見を持っている方もおり、議論となりました。

3時間にわたる一次会を終え、カラオケ店へ移動して2時間にわたりカラオケ大会、歌う歌は明治から昭和時代までの歌。

軍歌と懐メロ、平成に入ってからの歌を歌える人はいませんでした。

こんなに遅くまで語り合ったのは何ヶ月振りです。それにしても、皆様お元気です。

私は今後もしばらくは、「責任ある積極財政を推進する議員連盟」の顧問として毎日のように議連役員会のメール交換をしておりますが、月に一回程度は上京して議連の勉強会に参加しながら、政治に携わって行こうと考えております。

なお、このブログも中西哲のホームページも1週間後には閉鎖する予定です。

長い間有難うございました。

 

第10回太平洋・島サミットへ出席

16日(火)午後7時より、東京プリンスホテルで、林芳正官房長官夫妻の主催で「第10回太平洋、島サミット」のパーティーがあり出席した。

私が外務大臣政務官の時、希望して南太平洋の島嶼国の担当にしていただいた。

それは中国が南太平洋の島々に経済支援をしているのだが、その目的はオーストラリアと米国(ハワイ)の分断をはかることである。

大東亜戦争の時に、日本軍は米豪分断作戦を行い、ガダルカナル島を占領する為に攻防戦を行い多くの犠牲者を出して失敗した。

七十数年経って中国の習近平は同じ事を目論んでいる。

その為、私はこの地域に注目している。

オープニングセレモニーは能登半島の「御陣乗(ごじんじょ)太鼓」の演奏から始まった。

能登半島地震の復興支援の意味もあり、そのためのブースもあった。写真を上手く撮れなかったが、6人ほどが出演していた。

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官房長官が開会挨拶の中で、外務大臣の時に島嶼国を回ったと話した。

島嶼国の友好親善議員連盟もあり、国会議員もたくさん出席していた。
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外務副大臣柘植芳文参議院議員とも久しぶりに話が出来た。

「コロナ禍が終わり、あちこち海外視察が出来て羨ましいですよ」というと、柘植副大臣は「飛行機が苦手で、あまり海外視察は行ってないんだ」と言っていたが、秘書官が「トンガへ訪問していただきました。」と言っていた。

この秘書官は、私が外務大臣政務官の時に、2度ほど臨時で私の秘書官を務めてもらった方で、私はすっかり忘れていた。
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官房長官の次は、このサミットの共同代表であるクック諸島首相の挨拶があった。

何人かの国会議員さんと話が出来た。

また、元陸上自衛隊中部方面総監であった岸川さんが話かけてくれた。彼が総監の時に、私は参議院議員として、伊丹の中部方面総監部を訪問した事があり、強く印象に残っている方であった。

JMASという会社の「President」の名刺をいただいた。海外で地雷処理をする会社で、 島嶼国で沈船の処理を行っており、その関係で出席したと話していた。

また現在はIHIの顧問でもあり、IHIの社員は私も何度もお会いしたり、工場を訪問していたので話が弾んだ。

乾杯が終わって会場を出た。

 

高レベル放射線廃棄物の最終処分場の説明会に参加した

10日(水)午後6時から、宿毛文教センターで、資源エネルギー庁原子力発電環境整備機構(NUMO)主催の「対話型全国説明会」が開かれて出席した。

今朝の(12日)高知新聞の報道では、県内では過去に高知市四万十市安芸市須崎市で計5回実施され、延べ59人が参加しているが、今回は県内説明会では過去最高の51人が参加したと書かれていた。

私は、県議時代に、高知県東洋町が、最終処分場の調査に手を上げるかどうかで大もめになった時に、資源エネルギー庁の職員から個別に説明を受けていたので、内容については承知していた。

説明資料では、日本全国の最終処分場適地の地図があり、高知県内では、海沿いの地域は室戸岬の一部以外は適地となっていた。

エネルギー自給率が13.3%の我が国では(資料:総合エネルギー統計2021年度)、電気エネルギーは原発に頼るしかないと考えている。

東北大震災の福島第2原発の事故以来、原発に対する国民の不安は大きい。

このブログでも過去に書いたが、東北大震災の時、福島第2原発は大事故になったが、津波被害を受けなかった福島第1原発宮城県女川原発は事故は起きなかった。

女川原発は避難所となり、私は大震災の4ヶ月後に現地を視察した。

しかし、福島第2原発では、広範囲な放射線汚染が起き、メルトダウンした原子炉は未だに燃料デブリはほとんど取り出されていない。

説明会当日配布された資料を読むと、「使用済み核燃料は、廃棄物の減容化・有害度の低減・資源の有効利用のため、再処理工場で再利用できるプルトニウムなどを回収する。残った廃液をガラスに溶かし込んで、ガラス固化体にする。

このガラス固化体を「高レベル放射性廃棄物」といい、日本ではすでにガラス固化体換算で約27,000本相当存在している。

ガラス固化体に含まれるプルトニウム等の量は極めて少ないため、臨界状態になる事はなく、爆発することもない。製造直後は発熱を伴うため、30〜50年度、冷却のために貯蔵・管理してから処分する。(中間貯蔵)」と書いている。

なお詳しく知りたい方は原子力発電環境整備機構(NUMO)のホームページへアクセスすれば、地層処分についての説明ページがあります。

現在の円安は様々な原因があるが、その原因の一つに、東北大震災以来、国内の原発稼働率が低いままで、火力発電に頼らざるをえないが、その火力発電の燃料である石油価格の高騰により景気回復が遅れている。

 安定した電気エネルギーの確保の為には、一日も早く国内の原発を再稼働する必要がある。

それに伴って原発で出る放射線廃棄物の国内処理は必要であると思う。

これに関連して、国内の原発の敷地内には使用済み核燃料の貯蔵プールがある。

この貯蔵プールはテロなどの攻撃に弱い。

この貯蔵プールが攻撃により破壊されれば、広範囲な放射線汚染が起きる。

ウクライナ戦争において、ロシア軍がウクライナ原発施設を武力支配した時期があった。

この時に私が最も懸念したのは、原発施設を破壊する事による広範囲な放射線汚染であった。

私は参議院議員時代に、テロ攻撃から防御する為に、この貯蔵プールを地下に移すよう、担当官僚に何度か言ってきたが改善されていない。

今年4月、ある衆院議員と話した時に、この心配話を伝えたところ、彼が言うにはガラス固化体で貯蔵する方法があり、これだと攻撃に強いとの話を聞いた。

それで資源エネルギー庁のホームページで調べてみたらその資料を見つけた。

それによると、使用済み核燃料の貯蔵方法には、プールで冷やす湿式貯蔵と乾式貯蔵があり、乾式貯蔵は7年ほど冷やした後でガラス固体化して貯蔵するという方法がある。

資源エネルギー庁のホームページを見ると次のように説明している。

【一方、「乾式貯蔵」とは、「湿式貯蔵」によって十分に冷えた使用済燃料を「乾式キャスク」と呼ばれる金属製の頑丈な容器に収納し、空気の自然対流によって冷却する方法です。

 乾式貯蔵は、日本では茨城県那珂郡東海村にある日本原子力発電株式会社の東海第二発電所などで、採用・実施されています。また、愛媛県西宇和郡伊方町にある四国電力株式会社伊方発電所佐賀県東松浦郡玄海町にある九州電力株式会社玄海原子力発電所静岡県御前崎市にある中部電力株式会社浜岡原子力発電所の各発電所や、青森県むつ市にあるリサイクル燃料貯蔵をおこなうリサイクル燃料貯蔵株式会社のリサイクル燃料備蓄センターでも、乾式貯蔵を申請しています。海外では、米国やスイスなどで実績があります。】

この方法だとテロなどの攻撃に対して、貯蔵プールで保管する方法より安全ではないかと思う。

しかし、昨日次の新聞報道を見た。

関西電力福井県原発構内に設置を計画している使用済み核燃料を保管する乾式貯蔵施設を巡り、福井県議会は7月10日、設置の賛否を問う県民投票条例案を反対多数で否決した。」

福井県日本海側に原発が多い、この福井県議会の反対決議の理由を調べていないが、何とも理解し難い決議だ。

 

 

世界政治が大変化

イギリスの総選挙で与党保守党が大敗し、労働党のスターマー内閣が14年振りに発足して各大臣が発表されている。

イギリスではここ数年、首相がよく代わっていた。

日本でも安倍晋三首相の第二次安倍内閣まで、短期で首相が交代する事が相次いだ。

フランスでも与野党逆転か?という報道が流れている。

米国では、バイデン大統領とトランプ前大統領の大統領選挙前哨戦が続いている。

どちらも高齢で、発言ミス、虚偽発言が続いている。

こんな国に我が国は安全保障を依存している。

これで大丈夫な訳がない。

今日投票の東京都知事選挙でも、50人以上が乱立して、大混乱の選挙戦が終わった。

こういう状況を見て、私が評価する、中東問題、ロシア問題に詳しい軍事評論家が、ネット上で「アメリカ大統領選挙東京都知事選挙を見ていると、イランの大統領選挙がまともに見えてくる」との発信があった。

世界の環境を見ても、ここ数年各地で、酷暑、豪雨災害、干魃などの自然災害が起きている。

これまでも自然環境の大変化と、政治の混乱は同時期に起きることが多い。

ウクライナ戦争と、イスラエル対イラン(ハマスヒズボラ)の戦いは終わる気配がない。

中国は経済が大低迷した上に、外務大臣、国防大臣が汚職等で次々と首になり、行方が分からない。

日本では、自民党に対する信頼は政治資金の問題で地に堕ちた。

世界は大混乱の時代に突入した。

我が国はエネルギー、食料の自給率が低い。

独立国として生き延びる為には、これまでと違って大きな政策転換が必要であると考える。

 

G7首脳会議の首脳声明を高く評価する。

以下のブログを下書きから公開したつもりが、公開されていなかったので、2週間経ちましたが、公開します。

【6月14日、イタリアで開かれているG7首脳会議で採択された首脳声明を高く評価します。

第一に、「凍結したロシア資産(利子)を活用して、ウクライナへ500億ドル(約7兆8千億円)を年内に供与する。」

と決めました。これはプーチンに対して大きな影響を与えるでしょう。

さらに、G7声明とは別ですが、13日、バイデン米大統領ウクライナのゼレンスキー大統領が、2国間の安全保障協力協定に署名した。

期間は10年。ロシアが侵攻を続けるウクライナの防衛協強化が目的。

これも、ロシアのプーチンにとって大きな圧力となるでしょう。

1939年9月、ヒトラー がポーランドへ侵攻して第二次世界大戦が始まりました。

開戦の決断に大きな影響を与えたのが、その3年前(1936年)に、ヒトラーが他の閣僚の反対を押し切って行ったラインラント進駐です。

この時、ナチスドイツより軍事力のあったフランスとイギリスが何の反応も示さなかった事が、ヒトラーに間違ったシグナルを送った、とイギリス首相のチャーチルが戦後「第二次世界大戦」という本の中で述べています。

第二に、「ロシアの軍事機関を支援する中国の金融機関への制裁を科す。」

という事です。経済制裁がどの程度有効かについて様々な見方がありますが、即効性はなくとも着実に効果が出ています。

第三に、「インド太平洋地域の平和と安定が世界の繁栄の鍵」という宣言です。

国際条約を無視して傍若無人な行動をしている中国の行動に対して、大きな圧力となるでしょう。】

 

沖縄戦終決の日に思う

昭和20年(1945年)6月23日、沖縄の戦いが終わった。

沖縄戦、そして戦後の沖縄復興について、私が県会議員時代の平成22年(2010年)のこの日、14年前に 自民党高知県連は高知県庁前の交差点で、街頭演説会を行い、私は以下の演説をやりました。

当時、この演説を聞いていた、普段は自民党に対して辛口のマスコミ記者から珍しく褒められた。

気持ちは当時と全く変わっていないので再掲します。

【今日は沖縄県民にとって忘れられない日です。65年前の6月23日に沖縄戦は組織的な抵抗を終えた、忘れようとしても忘れられない日です。

 鳩山総理は、自民党政権下で14年間にわたって、やっと決着した普天間基地辺野古移転に対して「国外、最低でも県外」と沖縄県民に大きな期待を抱かせましたが、結局実現できず、沖縄県民に大きな失望を与えました。その最後になって「沖縄の米国海兵隊の抑止力について勉強不足であった」と驚くべき発言をいたしました。

 日本の総理が国防について無知であったことを認めたわけであります。

 米国の海兵隊は世界中で紛争が起こったときに、真っ先に駆けつける有事即応部隊であり、その編成は米国本土西部に展開する第1海兵遠征軍、東部に展開する第2海兵遠征軍、そして沖縄、ハワイに展開する第3海兵遠征群に分かれております。

 沖縄に展開する第3海兵遠征軍はキャンプ・コートニーに司令部があり、その傘下には陸上戦闘部隊である第3海兵師団がキャンプ・シャウブ、キャンプ・ハンセンに駐屯し、それらをサポートする第3海兵兵站群が牧港補給地区に司令部をおいております。そして第一海兵航空団があり、この航空団が普天間基地山口県岩国基地に展開しております。

 これに加えて、沖縄本島北部には広大な演習場があり、これらを総合的に運用しているのが沖縄海兵隊であり、常時は1万2千人から3千人がいるといわれております。

 これらの部隊が、アジアから中近東にかけて紛争が起こった時には、第31海兵遠征隊を編成し、長崎県佐世保基地にいる海軍の強襲揚陸艦エセックスを始めとする4隻の揚陸艦に乗って出動するのが米国の基本的な軍事戦略であります。

日本は長い間この米国の基本戦略を認めてきたわけであります。

しかし、一方で、アメリカの米軍再編成に際して、沖縄の基地負担の軽減をするのが日本政府の重要課題であると認識しております。

 沖縄の基地問題を考えるにあたっては、大東亜戦争における沖縄県民の大きな犠牲、その犠牲のもとに現在の日本があるということを忘れてはなりません。

大東亜戦争における沖縄の戦いは昭和20年3月26日に始まり、6月23日に組織的な抵抗が終わりました。

米軍は、沖縄上陸に際して、現在嘉手納基地から普天間基地にかけての西海岸から上陸を開始し、南北に進撃し、日本軍との間で激闘を繰り返しました。

 これに対して日本軍は、陸軍では牛島満中将を司令官とする第32軍、海軍は太田実少将を司令官とする沖縄方面根拠地隊を配置して抵抗を続けました。

普天間基地周辺では、高台にある嘉数台地に陣地を布陣して向え撃ち、ここが現在の普天間基地になっており、トーチカが残っています。

5月24日で首里城攻防戦は集結し、この日をもって沖縄戦は終わるはずでした。

しかし、米軍による日本本土上陸を遅らせるために、日本軍は南部の島尻地区への撤退を決め、摩文仁の丘の洞窟に司令部を移しました。そのために、現在の糸満市八重瀬町が戦場となりました。

沖縄戦では、9万4千人の軍人軍属が戦死し、また、沖縄県民の犠牲者は、10万人以上といわれています。

 沖縄県民の奮戦の様子は、海軍の沖縄方面根拠地隊司令官太田実少将の最後の電文により後世に残されています。太田司令官は、本来であるなら沖縄県民の実情は沖縄県知事が報告すべき事項であるが、知事は既に通信手段を失っており、また、陸軍の第32軍司令部もそのような余裕はないと思われるので自分が報告すると前置きし、軍は防衛戦に専念したために、沖縄県民のことに関しては、ほとんど顧みることができなかったにもかかわらず。自分が知る限りは県民の青年・壮年が全員残らず防衛のための召集に進んで応募し、共に戦ってくれた。残された老人や子供や女性は家と財産とを焼かれ、着の身着のままで避難している。しかも、若い女性は率先して軍に身を捧げ、看護婦や炊事婦はもちろん、砲弾運び、挺身切り込み隊にすら申し出る者までいる。

つまるところ、陸海軍の部隊が沖縄に進駐して以来、終始一貫して勤労奉仕や物資節約を強要されたにもかかわらず、ただひたすら日本人としてのご奉公を胸に抱きつつ、沖縄はこの戦闘の結末と運命を共にして草木の一本も残らないほどの焼土と化そうとしている。と述べた上で、

沖縄県民かく戦へり、県民に対し後世特別のご高配を賜らんことを」の電報を打ち13日に自決されました。

この思いに応えるべく、自民党政権は1972年(昭和47年)佐藤政権下で沖縄の本土復帰が実現して以来、沖縄復興に対して様々な支援策を実施してまいりましたが、沖縄県の基地負担の削減は実現されておりません。

今こそ、国民の一人一人がこの問題について真摯に考え、沖縄県民の基地負担を軽減させることを考える時であります。】

 私は、高知県議になってからこれまで、二十数回沖縄を訪れている。

最近は沖縄空手、古武道の稽古に訪れるのだが、訪問するたびに、摩文仁の丘の慰霊碑、大田少将の自決された海軍司令部壕、八重瀬町にある高知県戦没者慰霊碑などを必ず訪れて哀悼の慰霊をする。

最近、沖縄に駐屯する陸上自衛隊第15旅団に牛島中将の遺書を掲げている事を問題にした左巻きのマスコミ報道があったが、何を馬鹿なことを言うのかと思った。

幸い木原防衛大臣が、この不当な圧力をはねつけてくれた。